増尾さんが亡くなったときに、自分の今までの記事に目を通してくれる人が多くいた。それは嬉しかった。とうぜん、自分の問題ではなく、増尾昭一とはいったいどういうことをする人で、どのようにすごいのかといったことが多くの人に伝わったからだ。ぼく以上に増尾さんに詳しい人はいるだろうが、まあそういうことではない。
逸話などで終わることなく、具体的な仕事の一端に触れることができる。我ながら、整理しておいて良かったと心から思えた。高畑勲はそういった文献が少ない。なんとなく、富野宮崎が褒めている、すごい人、こういったビジョンである。これで良いのか?
とうぜん、高畑勲を一言で語ることはできないだろう。積み重ねて研究されていくことを望むが、逸話でキャッキャしているやつらを見ると、心底うんざりとした気持ちになる。君たちは訃報を、ある種のネタとして扱っているのではないか?それがなんとも気色悪い。人としてありえない。