「ワンパンマン」は元々ONE原作のWeb漫画だったが、村田先生が作画を懇願し(若干の脚本変更もあり)、出版・アニメ化された。じぶんは、2012年くらいに「Web漫画」というものの存在を知り、「めっちゃ面白いやん!」読んでいたので、Web漫画には思い入れがあった。とうぜん、当時一番人気だった、ワンパンマンも読んでいた(新都社から個人サイトに移っていたかな)。だからかは知らないが、どうにも、ONE絵じゃないワンパンマンがアニメ化されることは違和感があった。自分が求めていたのは、ONEが描いた、どこか変だけど、味があるサイタマの絵だったんだなとそこで気付いた。しかし、世のアニメとして出すには、ONE絵では不十分とされたんだろう。それが何かモヤモヤとしていた。
その点では、ネットコミックとして最初から連載された、「モブサイコ」のアニメ化は素晴らしかった。ONEの世界観、もっといえば、Web漫画のあの何でもあり感、商業では出来ない事が、よれた看板などにありありと再現されていたし、寸胴みたいなONE絵を上手くアニメに落とし込んだ、亀田キャラデには驚いた。
さて、7月から放送される「賭ケグルイ」もWeb漫画が元である。元は、「ドミニウム~極色少女賭博伝~」というタイトルで、2009年から更新されていた。現在までに、47話執筆され、そこで休止している。その代わりに、同作者によって、2014年から「賭ケグルイ」が連載スタートした。そして、今夏にアニメ放映が決定している。
前述のワンパンマンと同じ構造である。作者は同じであるが、Web漫画から商業漫画へと移り、メディアミックスされるのは商業漫画の方だ。ONE原作絵ではなく、村田絵でアニメ化された。言っておくが、商業への移行を責める気持ちはない、誰だって自分の本が出版できるチャンスがあれば、そっちを選ぶだろう。商業の連載漫画家になれる道があるならば、選ばない理由はない。「商業などに行くな!」と責める理屈はどこにもないのだ。
ただ、残ったWeb漫画を楽しんでいた自分にとっては、賭ケグルイのアニメ化は心中複雑である。自分は、ドミニウムの世界を楽しんでいた。学園でこっそりと行われる賭け事、子どものお遊びではないレート、イカサマ何でもあり、そして主人公は倶楽部への復讐のために賭博を続けていた。つまり、目的があった、単純なギャンブラー狂ではなかった。ドミニウムの方の主人公に狂気があったかなかったは定かではないが、賭ケグルイPV2のように、「狂気こそギャンブル!」みたいなクソみたいなセリフはなかったと記憶している。
ドミニウムの世界観は素晴らしかった、倶楽部を倒すという目的に邁進する主人公の姿はギャンブル中毒ではなかった。ワガママであることは重々承知だが、ONE絵のワンパンマンが見たかったように、ドミニウムの世界観が見たかったのだ。それは、商業化された賭ケグルイによって、叶わぬ夢となった。商業は憎めない、作者も漫画家になって良かった。ただ、読者の悶々とした、どうにもできない感情だけは残ってしまうのだ。それは仕方ないことと思いつつも、やはり、モヤモヤしてしまうのだ。でなければ、こんな長文にはならないだろう。
その点では、ネットコミックとして最初から連載された、「モブサイコ」のアニメ化は素晴らしかった。ONEの世界観、もっといえば、Web漫画のあの何でもあり感、商業では出来ない事が、よれた看板などにありありと再現されていたし、寸胴みたいなONE絵を上手くアニメに落とし込んだ、亀田キャラデには驚いた。
さて、7月から放送される「賭ケグルイ」もWeb漫画が元である。元は、「ドミニウム~極色少女賭博伝~」というタイトルで、2009年から更新されていた。現在までに、47話執筆され、そこで休止している。その代わりに、同作者によって、2014年から「賭ケグルイ」が連載スタートした。そして、今夏にアニメ放映が決定している。
前述のワンパンマンと同じ構造である。作者は同じであるが、Web漫画から商業漫画へと移り、メディアミックスされるのは商業漫画の方だ。ONE原作絵ではなく、村田絵でアニメ化された。言っておくが、商業への移行を責める気持ちはない、誰だって自分の本が出版できるチャンスがあれば、そっちを選ぶだろう。商業の連載漫画家になれる道があるならば、選ばない理由はない。「商業などに行くな!」と責める理屈はどこにもないのだ。
ただ、残ったWeb漫画を楽しんでいた自分にとっては、賭ケグルイのアニメ化は心中複雑である。自分は、ドミニウムの世界を楽しんでいた。学園でこっそりと行われる賭け事、子どものお遊びではないレート、イカサマ何でもあり、そして主人公は倶楽部への復讐のために賭博を続けていた。つまり、目的があった、単純なギャンブラー狂ではなかった。ドミニウムの方の主人公に狂気があったかなかったは定かではないが、賭ケグルイPV2のように、「狂気こそギャンブル!」みたいなクソみたいなセリフはなかったと記憶している。
ドミニウムの世界観は素晴らしかった、倶楽部を倒すという目的に邁進する主人公の姿はギャンブル中毒ではなかった。ワガママであることは重々承知だが、ONE絵のワンパンマンが見たかったように、ドミニウムの世界観が見たかったのだ。それは、商業化された賭ケグルイによって、叶わぬ夢となった。商業は憎めない、作者も漫画家になって良かった。ただ、読者の悶々とした、どうにもできない感情だけは残ってしまうのだ。それは仕方ないことと思いつつも、やはり、モヤモヤしてしまうのだ。でなければ、こんな長文にはならないだろう。