ノⅠ了=Ⅰ(別館1)

雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

カテゴリ: 作画てきとーばなし

野中とか佐藤利幸に共通するのって、そこそこな違和感よね。作画が上手いことはもう言うまでもないんだけれど、特にタイミングに違和感がある。佐藤利幸のこのすばアクア様の芝居が代表的で、彼らはよく誇張する、タイミングも含めてデフォルメする。情感たっぷりで演技をさせる。OMGみたいな感じじゃん、あのアクア様。それが人間くさくてよい。野中だったら、さいきん見直しているけれど、やはり未確認で進行形、彼のベストワークと僕は思っている。特に真白関係。真白がTVのUMAに怯えて逃げるところ、紅緒から逃げて玄関ダッシュするところ。ここだよなあ。

「現実よりも少し誇張して描くこと」で、アニメーションの中で少し他とは違って見える。躍動感がある。で、この躍動感は昔からある。躍動感だったり、気持ちいい動きというのは、実は開発され尽くしてして、それがディズニーやトムとジェリーみたいな、あの感じに行き着くと思う。

慣性と連動で、野中作画は個人的には解決する。頭が動けば髪の毛も動くし、躓くといろいろな部位が連動して動く。しゃべるときに、顎や肩がしぜんと動く。少し誇張したその動きが、彼に個性をもたらす。

…といった内容を2年前に書いたけど消しちゃった。もう少ししたら、アズールレーンもアニメになるし、早めに書きたいな。そもそも、もうちょっとすると野中作画って目立たないものになるんだろうね。彼は写実に傾倒しているから、おそらく今までぼくが抱いていた違和感は少なくなるんじゃないのかな。

作るんなら、ちゃんとやって欲しいのは理解できる。「真偽が微妙なパート」ならまだしも、「明白に違うパート(他人のパート)」が入ってて呆れるのは分かる(というか困る)。それは、意図に関せず、デマと同じだからね。かといって、ボウル産の、パート合ってる率100%のワンオクMAD見たいかと言ったら、そうじゃねえんだなあ俺は。愛情が詰まってたら、いいとおもうよ。ただ、厳密になりすぎてて、「真偽が微妙なパート」まで入れられないのは、ちょっとアカンやろなと。そこは、なんだ、愛嬌なのよ。ああ、情熱をもって、記事にしたり、MADにしたりしたけど、間違いがあった。それは仕方ない。その間違いは、指摘した方がいいよね。訂正はできるから。

今の作画のタイミングは、大張作画と田中作画で全部説明できるとおもう。

現行のアニメに対して、田中宏紀の影響が大きいのは言うまでもない。この点については多くの人が認識しているが、大張作画の影響は軽んじられている。大張作画は「大張パンチ」しかり、極端なタメツメによって、画面への寄りと引きを繰り返す。これが基軸。画面への寄り引きのギャップによって、迫力ある画面になっている。

以上から、大張作画のタイミングはカメラ的といえ、言い換えればカメラのタイミングである

カメラに対してのタイミング(大張作画)・・・①

その一方で、間接の柔らかさ、髪のリアクションを通して、キャラクターの動きを描いたのが田中宏紀。「ストパン」における、中割りを排除することによって、小気味いいタイミングを生み出した。そのタイミングは、金田系ほど極端ではない。金田系における「金田ポース」は、田中のやわらかい間接表現へと昇華された、とおもっている。

以上から、田中作画のタイミングは芝居的といえる。これも同様に換言すれば、芝居のタイミングである。

芝居のタイミング(田中作画)・・・②


①、②のタイミングは、現行のアニメーターに多大な影響を与えた。無意識ながら、デフォルトになったタイミングを眺め見た結果、大張・田中作画のタイミングが普及したと思われる。もちろん、彼らの作画では説明できないタイミングもあるが、大多数はこのタイミングだ。  

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