ぼくはとても理不尽に感じで、とてもやるせなかった。会社や実家の遺品整理をするたびに辛い気持ちでたくさんだった。生きていて欲しかったとご父兄に言われるのは何より辛かった。

簡単に言うと、父の死因は脳出血で、脳内で血管が弾けた。それだけでさ、人間かんたんに死んじまうんだなあと思って意味が分からなかった。遺体安置所にいったら、アザはあったけど、ソファーでゴロ寝してるみたいだった。はよ起きな間に合わんでとか呼びかけたら、目を覚ましそうだった。それぐらい綺麗な状態で辛かった。

いきなりのことで、ぼくが全部仕切ることになった。住宅売買も遺品整理も、塾の残務処理もすべてやり遂げた。この労力もそうとうだったけど、家族からねぎらいの言葉はさほどなかった。これがいちばん辛かった。

味方から撃たれることほど辛いことはない。ぼくが棺に入ったお父さんに最後に触れたら、姉と母はとても怒鳴った。世間知らずにもほどがある、無礼なことをするなと言われた。姉貴には旅費を清算しろと言われた。実家に泊まればただなのに、わざわざホテル取って、なぜか請求した。20万も。よく分からない。

毎晩遅くまで残務処理に追われている間に兄貴は彼女を作ってプリクラを撮っていた。常軌を逸している。この話はもう過去のことだから出すなと、家族全員から言われているので、ここに記す。

お父さんの教育がうまくいっていないなと思った。心は錦であれ、他人を慮れと教えられた精神は彼らの中に感じなかった。冷酷な利己主義者だなと思った。自分の体調はすぐに崩れた、当たり前のことだった。今も引きずっている。

お父さんが亡くなったことには決着をつけなくてはいけなかった。でも、神様に呼ばれたとかそういうのは嫌だった。お父さんと長い付き合いの事務会社の人が良いことを教えてくれた。病院で長いこと闘って、管繋がれて、看病してなんてやっとったら、どっちもきついですよ。だから、一般論ではないけれど、お父さんの死に方は私にとっては理想的。

とても知己と慮りを感じた。世の中は理不尽である。血管が弾け飛ぶのがなんでその日だったのか、よく分からない。分かることはできない。でも辛い。だから、妥協しないといけない。側にいたら救えたのかもしれないと時折思う事はある。ただ、もう、意味がないなと思ってやめた。

京アニにかんしては、ぼくらは傍観者でしかない。自分を責めたり、できることがないと嘆く人たちは、陶酔している。人の死はコンテンツではない。誰が助かって、誰かが救われなかったことに、いちいち反応するべきではない。ロクでもない行いだ。なにかできるなどというのはおこがましい。できることは、京アニで亡くなられた方の死という事実を、少しずつ受けいれることだけだ。そのほかにはなにもいらない。