理解できないものは、やはり恐ろしいという考えが根本にある。そこからなんだろうね、女性的な精神が受け付けられないのは。ただ、これはおれが、「理解できないものを、否定せず受け入れ」ると、解決する話だよね。別に異性愛者には間違いないんだから。異性愛者であるけれど、なおかつ理解できない存在を避けているだけの話ではないのか。その回避が、トランス願望につながっているような気がするんだよね。要するに、女性を理解できないんだったら、あるていど理解できる男性的な人物と街を闊歩したい。しかし、自分は同性愛者ではない。よって、自身が女性へと変身する必要がある。というのは当然の帰結じゃね。論理破綻してないとおもうけど、どうだろう?


だから、同性愛者ではないとおもう。というか、同性愛者に失礼だとおもうんよね。だって、女性の精神・思考が、理解できない・受け付けられないという点で回避しているだけだものぼくは。それを、同性に愛情を注ぐホモセクシャルと同じにしては筋違いでしょ。彼らは美しいじゃない。ぼくはどっちつかずの中途半端な生きものだよ。

つまりさ、自分が気楽かどうかということが最重要なのよ。クズと言われても仕方ないけれど、相手に合わせて、気まずい時間を過ごしたくはないじゃん。それだったら、気の知れた友達と遊んだほうが楽じゃんと。まあ、一言で言うと、幼稚なんだよ。新しいこと、わからないことへのチャレンジ精神がないんだろうね。もっというと、失敗が怖いんだろうね。セックスもそういうものじゃん。ぼくがセックスの話をしたくない・避けているのは、初めてのとき大きな失敗をしたからだよ。あれは最上級のコミュニケーションなんだなあって、終わったあとに理解をした。そういう幼稚さがあるよね。