やはり多くの人が誤解しているのは、自分だけが、その宣伝の対象者であり、それで不愉快な思いをすれば、みんな同じように不愉快であると考えていることである。

で、実質的には、イヤな広告というのは誰しもある。今回のような、別にちょっと不愉快かもしれないけれど、ありふれた広告をいちいち潰していっても仕方ない。意味がない。みんなが満足するコマーシャルなどは、この世の中には存在しない。のであって、それを求めると、真っ白いキャンパスに、真っ黒な文字で、午後ティーと書かれた広告だけになる。軍師気取りは山ほどいて、こうすれば良かったんじゃないのか、ああしたら批判されなかった、とあるけれど、すべて結果論である。

今回の午後ティー広告は女性蔑視ではないし、それを勘違いしたフェミニズムが攻撃しているのを見ると、やはりこの人たちは正義ゴッコがしたいのであって、待遇や地位の改善などしたくないのではないか?と思ってしまう。

ここまでくると、まあ被害妄想である。男性を小馬鹿にしたcmなどいくらでもあるのに、それには性差的な批判を突きつけない時点で、一貫性がない。すなわち、女性視点でしか、性差問題は発生しないと、大きく誤った考えをもっている。そう思わざるをえない。