蛍の墓の西宮ババアに従えばよかった、なにかすればよかった、というのは結果論的だとおもうんよなあ。交通事故にあった人に対して、いやそんな道通る方が悪いやろみたいな。

清太は、あのような、反抗的な態度を取ってでも幸せに暮らしたかった。それが節子を殺すことになっても、一時的であってもとおもう。高畑勲作品がだんだんわかってきたような気がする、逝去後で恥ずかしいばかり。

で、僕は二元論で語るつもりはないけれど、おおよそ西宮ババアって体制側だよね。ふだん、教師のクソ戯れ言に悪口言っていた僕らが、ババアの側に立つことじたい変だと思うんだけど。