配信で「追っている人の作画パートが分からないとがっくりこないか」、という主旨のコメントがあった。で、まあ、簡潔にいえば、「がっくりはするけど、いちばん重要なのはそこじゃないから大丈夫」という感じである。

正否に関係なく、映像において、どうしてこのパートがその人だと結論付けたのか、そういったことを根拠を用いて述べるのが一つの面白さだと思っているので、結果はまあ、(合ってるに越したことはないが)どっちでもいいよねと。間違っていても、理屈が通っていれば、それは良い間違いで、無駄な歩みではないだろうということ。すなわち、通った道筋、どのような思考を経て、その作画は誰かのパートと結びついたのか、といったことが最も重要だとおもうんよね。それが個々人によって異なっていて、たとえば、タイミングから見る人や、ディテールで見る人がいて、その見方を共有することこそが、醍醐味であると思う。

ただ、作画の素晴らしさに感動するのも良い。それと同じくらい、ハイニッチな領域のお話をするのも楽しいし、面白いものを開陳して紹介するのも楽しい。ぼくは、楽しいか楽しくないか、関心がない、ぐらいのシンプルさでやった方が確実に良いと思っているので、複雑化しない。作画崩壊を叫ぶ人を矯正するなんて手間のかかることはしても仕方がないし、作画に関心を持ってる人を引きずり込む誘い込む方がコストは少なく済む。名より実を取る、ことがもっともよい。

それとこれとは別にして、カラー2号機よはやくおれの質問に答えてくれ。なんで王立宇宙軍が話題になったときに答えてくれなかったんだやっぱクソだわ。