iakinglyのごみ雑記

雑多なテーマに対し雑に述べる、愚痴とゴシップも時々→本館はGOMISTATION

2020年03月

前からもう関わりたくない人達だったんでいいんじゃないかと思う。
ツイ作豚みたいな、もうなんかSNS上のアニメーターは批判しちゃいけない、褒めなきゃいけない、そういう同調圧力的な空気で一生やっててくれと思う。もうしんどい、自分に嘘をつけない。しんどすぎる。ああニヒリズム的な、冷笑みたいな態度ぼくは受け付けないんで。付き合ってられん。

まあ僕が嫌いな雰囲気に対してほぼ寛容さがないというのは、それはそれで大きな問題でしょうけどね。それは認める。きっしょいツイ作画界隈とは縁を再び切りました。一生内輪でSNSで目立ってる作画だけ持ち上げてきっしょいノリ続けてやってろボケカス。時間とメンタルの無駄やわ。

作スレもそんなに好きじゃないけど、ぜっっっっったい作スレのほうが100倍マシ。誤解しないでほしいからいちおう言うけど、作スレヨイショしてるわけじゃないからね。ただ、ときどき配信とかで流れるんだけど、作スレ住民がキチガイっていうのはだいぶ偏見入ってるってだけ。普通普通。専門板のドロドロ加減に比べたら普通。ツイ作豚は異常。だれもあれ喜んでやってねえよ。しんどい。

べつにこれは「論理性のない人間が悪い」という主旨の話ではない。まず、結論から言う。興味のない物事の中において、どのようなものに、そしてどのように関心をもつか、というのは、ほぼ決まっている。

A)アジテーションされたもの
B)きわめて資料性の高そうな整理されたもの
C)多くの人々が反応したもの

Aは感情的なものだ。ここに知性はなく、論理も根拠も必要がない。いや、むしろ邪魔になると言ってしまってよかろう。Bについては、資料性の高さから「コンパクト(情報の摂取が速い)」な情報であると、同様にCについては、多くの人々が注目したことから「重要な」情報・トピック・流行であると僕らは認識する。この情報社会において、自分の守備範囲外のエントリーやコラムの選択はほとんど合理的に行われている。

現代の情報はほぼ無限にある。自分の思考で判断し選択しなければ、自分にとって有意義、もしくは必要な情報は得ることができない。そういう風に多くの人は思っているとぼくは考えている。人々は情報を選択する際に、合理的な判断を下しているとは言ったが、その内容が論理的であるかどうかはいっさい関係ない。つまり、<外部>から見て、「便利そう」、「面白そう」、「すぐに読めそう」なものだと判断している。言い切ってしまえば、内部の情報、まさしく<内容>は情報選択の際には、意外にもさして重要でないのだ。

内容がいくら論理的で正しく、根拠も揃っていたところで、選択され注目されるかには関係しない。重要なのは、「外から見て、便利そう・面白そうなもの」なのだ。であるからにして、多くの人々が読んだからといって、正しい情報であること、自分にとって有意義な情報であることを保証しない。

小さく小さく論理や根拠を重ねて書いても、べつに良い。それが日記であるならば。ブログは少なくとも、すべてのネットに公開されたもので、そのエントリーはだれかに読んで欲しいという気持ちが含まれている。論理性は非常に高いが、まったく選択されないエントリーと、論理性にいちぶ欠陥は見られるかもしれないが、多くの人に選択され、その物事について議論されるエントリー、どちらが有意義であるかはもはや明白だ。「名を捨てて実を取る」と、同じことだ。だれにも気付かれない大きなダイヤを探すのと、馬券について悩むのと、どちらを選択するかなど、言うまでもない。


このページのトップヘ