2019年07月23日 つまりは京アニについて 語るべき自分の文脈というか、語れるだけの見ている歴がある人はさ、どんどん語っちゃっていいと思うわけ。それはいくらでも、やってくれ。いや、いまやらないと、彼らの功績を振り返るタイミングというのはもう本当に少ないから頼む。そういったところ
2019年07月22日 父が亡くなったとき2 こういう話はあまりしないし、されないから貴重なんでしょう。例の放火の件もありそうですが。住居や会社について、全て一人でやり遂げたとは思わない。リアルで長年お世話になった人、ネットで相談にのってくれた人、みんなのおがげでやり遂げられた。しかし、そこに家族からのねぎらいの言葉なり、そういったものがなかったのは呆然とならざるを得なかった。父は正確には、血管が弾けて5分程度で死んだ。その5分の間に、血を吐いていたらしい。ので、塾のカーペットの一部が汚れました。これではもろもろの来客対応できないと、いちぶ切り取りながら、いちぶ自分のデスクの足元に置きながら活動をしていた。我ながらいま考えるとアブノーマルだった。父が寝ていたベッド寝て起きて、父の車で会社へ行き、父が座った椅子で来客対応をし、お知らせペーパーを作り、また父の車で父の住んでいた家に帰った。せわしなかったのは功を奏しただろう、この異常さに気がついたのはもっとあとだった。父の分身でもあるような、家の中のものをぐしゃぐしゃと捨てていくと、これはまあ相当にあかんなと思った。大切に何十年も使われていたタンスやベッドが窓から放り投げられていく。形見分けしたあとに残った家電は、懐かしいものばかりで、父がもういちど亡くなるようでもあった。また、自分の子供時代が壊されていく感じだった。ああ、こういう話をしているのは例の放火があったからです。それで、本題は、「人が亡くなったあとの態度」という点です。ぼくは父親が亡くなって遺体を確認してから、葬式を終えて一段落ついた。そのあと、ずっと何もしないでいると変になりそうでした。喪に服している状況、とひとついっても、いろいろある。黙って正座しているイメージがみなさんおありでしょう。でも、リアルはそうじゃなかった。黙っているとおかしくなりそうなのよ。喪失という言葉ではくくれないほどのショックがあった。みんなピリピリしていたし、ウツっぽくもあった。精神不安定であった。ぼくはせんじつ、例の放火の件で「安否確認ゲームをするな」と提起しました。どのような事態においても、どの人が亡くなったから悲しくて、この人はなくなってもいいやみたいな態度はぜったいに見せてはいけない。浮かんだとしても、心で留めないといけない。なぜここまで言うか。それは遺族の存在を軽んじているからです。いつ目に入るかどうかも分からない。それと同時に、「なにかしていないと変になりそうな気分」も分かるのです。だから、これはどうにもならんなと思った。どうなんだろうね。
2019年07月19日 父が亡くなったとき ぼくはとても理不尽に感じで、とてもやるせなかった。会社や実家の遺品整理をするたびに辛い気持ちでたくさんだった。生きていて欲しかったとご父兄に言われるのは何より辛かった。簡単に言うと、父の死因は脳出血で、脳内で血管が弾けた。それだけでさ、人間かんたんに死んじまうんだなあと思って意味が分からなかった。遺体安置所にいったら、アザはあったけど、ソファーでゴロ寝してるみたいだった。はよ起きな間に合わんでとか呼びかけたら、目を覚ましそうだった。それぐらい綺麗な状態で辛かった。いきなりのことで、ぼくが全部仕切ることになった。住宅売買も遺品整理も、塾の残務処理もすべてやり遂げた。この労力もそうとうだったけど、家族からねぎらいの言葉はさほどなかった。これがいちばん辛かった。味方から撃たれることほど辛いことはない。ぼくが棺に入ったお父さんに最後に触れたら、姉と母はとても怒鳴った。世間知らずにもほどがある、無礼なことをするなと言われた。姉貴には旅費を清算しろと言われた。実家に泊まればただなのに、わざわざホテル取って、なぜか請求した。20万も。よく分からない。毎晩遅くまで残務処理に追われている間に兄貴は彼女を作ってプリクラを撮っていた。常軌を逸している。この話はもう過去のことだから出すなと、家族全員から言われているので、ここに記す。お父さんの教育がうまくいっていないなと思った。心は錦であれ、他人を慮れと教えられた精神は彼らの中に感じなかった。冷酷な利己主義者だなと思った。自分の体調はすぐに崩れた、当たり前のことだった。今も引きずっている。お父さんが亡くなったことには決着をつけなくてはいけなかった。でも、神様に呼ばれたとかそういうのは嫌だった。お父さんと長い付き合いの事務会社の人が良いことを教えてくれた。病院で長いこと闘って、管繋がれて、看病してなんてやっとったら、どっちもきついですよ。だから、一般論ではないけれど、お父さんの死に方は私にとっては理想的。とても知己と慮りを感じた。世の中は理不尽である。血管が弾け飛ぶのがなんでその日だったのか、よく分からない。分かることはできない。でも辛い。だから、妥協しないといけない。側にいたら救えたのかもしれないと時折思う事はある。ただ、もう、意味がないなと思ってやめた。京アニにかんしては、ぼくらは傍観者でしかない。自分を責めたり、できることがないと嘆く人たちは、陶酔している。人の死はコンテンツではない。誰が助かって、誰かが救われなかったことに、いちいち反応するべきではない。ロクでもない行いだ。なにかできるなどというのはおこがましい。できることは、京アニで亡くなられた方の死という事実を、少しずつ受けいれることだけだ。そのほかにはなにもいらない。