スタイルに大きな変化が現れていく。
大手などに顕著に見られる「講義」メインであるものは「実践」へと結びつかない。そもそも、授業・講義とはなにか。知らないことを教えてもらい理解し、実践できるようにしていく場所である。単純な解答板書などは授業ではない。予習をする場合、予習の部分で事前に問題の答え合わせを済ませた後に、事前には理解できなかった部分を理解・再現することが最重要である。
しかも、多くの問題を受験では蓄えておかなければならない。一般の高校や塾の演習量などは少なすぎて、どうしようもないのだ。なぜか。生徒の人数は40名と多く、さらに成績もバラバラだからである。これによって、無難な問題をただ解説するというスタイルが多く続いてきた。
結論から言えば、最強は少人数+個人指導である。少人数を歌う予備校は近年増えつつあるが、少人数の時代すら終わりに近づいて言える。とはいっても、個人指導は高価で生徒数も絞られすぎる。
15名前後のルームで、一人の講師が直接管理できるだけのルームであるべきだ。ここで重要なのは、講師が、という点だ。チューターなどを通すと伝聞されてしまい、面倒くさい。これからの塾講師は、ただ勉強を教えるのが上手いというだけではなく、受験制度そのものにも詳しくなくてはならないし、生徒一人一人がどのような性格であるか、といった細かいところまで把握していて当たり前になる。本来そうでなければならないのだ。
であるからにして、今これだけの塾講師が溢れているのは、単に勉強ができた、勉強を教えているフリが上手い、ほかに仕事がなくて仕方なく講師をしている、そういった講師が大勢内包されているからである。ほんとうの、本来の、講師とは「師」でなくてはならない。いろんな点で、モデリングの対象とならなければいけない。
そういった意味で、父は塾講師として天賦の才を持ち合わせていた。あのカリスマ性は中々並ぶものがいないだろう。徹底した演習、徹底した内容理解の確認、テキストの選択、どれをとってもストイックであったとおもう。いろんな側面を見て、人はとくに保護者は尊敬やリスペクトを持つ。