ノⅠ了=Ⅰ(別館1)

雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

2018年10月

ある特定の人々は、抱き枕を性的搾取といい、vtuberの台頭を女性のモデルロール化を助長すると難癖をつける。

そういったことに関する繰り返される意見を述べたいわけではないので、ご理解いただきたい。今回は、その原因を考えたいのだ。

前々から思っているが、彼らの多くは、愛されていない。なぜか、たかが人形に羨望してしまっているからだ。キズナアイという人形の存在を、抱き枕という物体に対し羨望を抱いてしまっている。つまり、性的な消費をされることも、その対象となりえることも少なく、現状の生活に不満がある。そうでなくては、人形に嫉妬することなどあり得ない。

女性のために、子どものために、そういった、それらしい大義名分を掲げる人はたくさんいる。難しい言葉を次から次へと使い、新しい概念を次から次へと生み出す。この活力はいったいどこから湧いてくるのか。いったい、彼らは、何が目的なのか。

たしかに、個人の嗜好が、公の場で他人を傷つけてしまっては言語道断である。しかし、 抱き枕は他人を傷つけているだろうか。キズナアイのノーベル賞解説は、果たして理系を志す女生徒に絶望を与えたのか。公共の福祉を害しないかぎり、個人の嗜好は、思想と同値であり、制限されるものではない。

ぼくが思うに、傷ついてしまったのは、それを主張する人々なのだ。人間である自分の性的な部分・存在よりも、人形のそれを優先されたことに傷ついてしまったのだ。だからこそ、自分に関係のないようなジャンルから、性的な批難対象を見つけ、概念や言葉を日々生み出すのだ。

誰しも自分が傷ついたから、という理由ではあるテーマについて主張したくない。このような繊細なテーマについてはなおさら。それゆえ、女性のため、子どものためというもっともらしい大義名分を用いるのだ。

ぼくは、この諸問題にかんして、人形に規制をかけることに意味はないと考えている。それよりも、愛されていない人々、人形に役割をとられたと感じる人の救済がもっとも優先されるからだ。逆説的だが、彼らを救うことが、この諸問題を解決する最善の方法におもう。断っておくが、ぼくは、彼らを皮肉ったりする気持ちはいっさいない。

究極にいってしまえば、どちらも自信がない、余裕がない。愛されるどころではないのかもしれない。その不自由さが攻撃性につながっていると考えている。

着後などのわかりやすい用語は、人々が想像しやすく、気軽に伝えやすい。その反面、きちんとその用語の持つ意味を反映しているかどうかを疑問に思うことが多い。たとえば、「いじめ」という言葉は、多人数で一人を虐げる構図がさっくりと思い浮かぶ。「児童暴行・恐喝・脅迫」とすると、途端にイメージがしにくいが、その事象を的確に表現することができる。

普段使いの用語は否定したいわけではない。パワハラ、ブラック企業などの用語は、その直感的・感覚的な語感でなければ、ここまでその存在を世の中に浸透しえなかったからだ。ただ、ブラック企業という用語は、皮肉にも、それと同時に、違法労働会社の印象をカジュアルにしてしまったと思う。「うちの会社ブラックでさ~」「社畜だよ~ほんとに」といったよく聞く文章と、「うちの会社、過労死会社でさ~」「過労死会社勤務だよ~ほんとに」という文章から抱くイメージは180度異なるのではないか。

一言でいえば、ブラック企業というワードは、違法労働会社の存在をカジュアルにしてしまった。ただ、これは難しい問題である。直感性を捨ててしまえば、その事象そのものは、浸透しにくくなる。痴呆症という用語が問題になった際に、認知症と置き換えた人は素晴らしい。わかりやすく、それでいて的確だ。

野中とか佐藤利幸に共通するのって、そこそこな違和感よね。作画が上手いことはもう言うまでもないんだけれど、特にタイミングに違和感がある。佐藤利幸のこのすばアクア様の芝居が代表的で、彼らはよく誇張する、タイミングも含めてデフォルメする。情感たっぷりで演技をさせる。OMGみたいな感じじゃん、あのアクア様。それが人間くさくてよい。野中だったら、さいきん見直しているけれど、やはり未確認で進行形、彼のベストワークと僕は思っている。特に真白関係。真白がTVのUMAに怯えて逃げるところ、紅緒から逃げて玄関ダッシュするところ。ここだよなあ。

「現実よりも少し誇張して描くこと」で、アニメーションの中で少し他とは違って見える。躍動感がある。で、この躍動感は昔からある。躍動感だったり、気持ちいい動きというのは、実は開発され尽くしてして、それがディズニーやトムとジェリーみたいな、あの感じに行き着くと思う。

慣性と連動で、野中作画は個人的には解決する。頭が動けば髪の毛も動くし、躓くといろいろな部位が連動して動く。しゃべるときに、顎や肩がしぜんと動く。少し誇張したその動きが、彼に個性をもたらす。

…といった内容を2年前に書いたけど消しちゃった。もう少ししたら、アズールレーンもアニメになるし、早めに書きたいな。そもそも、もうちょっとすると野中作画って目立たないものになるんだろうね。彼は写実に傾倒しているから、おそらく今までぼくが抱いていた違和感は少なくなるんじゃないのかな。

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