ノⅠ了=Ⅰ(別館1)

雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

2018年09月

最近のゲームは、BotW(ゼルダ)やスパイダーマンを見るに、”自由さ”がよくよく強調されているように思う。もっとシームレスに、プレイヤーはなんでもできるように、そういったことを目指している。それに対して、逆に”不自由さ”を強調するものもある。新作の「デトロイト」は、意図的に操作を悪くさせて没入感を高める。

ただし、ぼくの食指は動かない。ゲーム動画を見て終わってしまっている。購入までに至らない。なぜか。ぼく自身、消費するほどの気力がないというのもあるが、それは一因にしかすぎない。ぼくは、なんとなく、”制限”が足りないようにおもう。大好きであるゲームにはたいてい、制限があった。

「ロックマンエグゼ」では1ターンに選択できるチップは限られていたし、動ける場所も9マスであった。「バイオハザード2」では、バックパックを付けても、所有できる物の数は10個だった。いっけん自由に見える「GTA」も、人を殺せば、警察に追われる。これらに共通するのは、メインのシステムにおいて、”どれかを選べば、どれかを捨てる必要がある”のだ。ぼくはゲームマニアではないから推測になるが、制限という要素はとても重要だと思う。

制限があるから自分でやってみようと思う。自由は、制限がない無秩序と換言できる。それは、身もふたもないけれど、ユートピアであって面白くない。いわば、”なんにでも干渉ができるアニメ”のようなものである。ここまで書いてわかったが、自由には選択肢がないわけではなく、多すぎるのだ。多すぎる選択肢は、人から意欲を奪う。ディズニーランドで遊ぶのと、小さい遊園地で遊ぶのとでは、後者のほうが、この理屈では意欲を増す。アトラクションが少なければ、それで遊ぶほかない。

ということはだ。人生に意欲をなくした場合、選択肢を少し狭べればよいのではないか。けして、生死どちらかという極端な話ではない。日常は選択肢にあふれている。それを少し狭くしてやればよい。制限がないのは際限がなく、極端になりやすい。よって、視野は広くありつつ、選択肢は少なくする。といったのが理想なのかな。

けもフレ2PVを見た。けもふれファンが待っていたのは、けもフレ2ではなく、たつき2であったので。やはり、たつきはまだまだ信頼されるだろう。で、新たに舵を取り、(半ばけもフレを捨てた形で)新作へと踏み切ったことは多大なる評価に値すると思う。でも、バカなPとは縁を切った方がいいと思います。

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