ノⅠ了=Ⅰ(別館1)

雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

2018年08月

なのかもしれんな。と思うようになった。割と寂しがり屋だなあと、自覚したのは初めてのことではなかろうか。さいきんはよく友達と電話するし、自分からかけることも増えたので。まあ、そんなに衝撃的なほど変化したわけではないけれど。仲良い人数人とだけだからね。

おそらく、あまりに学生時代と社会人の最初の方で、人間関係が増えすぎて、一人の時間をもてなかった。ストレスフルになってしまって、リセットする以外に方法を思いつかなかった。それが今の複雑でない、小さい人間関係の要因だろうなあと。とても親密2、ある程度親密5、まあまあ親密5~10。これぐらいがベストだねえ。表面上の友達やこは何人もいらん、というかそれは自分にとって余分な脂肪になるので、自分のキャパシティを超えてしまう。ただ、まあ、今だったら回復してきたし、あるていどは受け入れられるのかも?と思いつつある。

そういえば、学生時代から、すげえスクールカースト低いやつにも取られてた気がする。なんか俺にだけ突っかかるみたいな・・・。未だにあるけど謎だなあ。まあ、おれどんなゴミクズでも横柄な態度とか取らんし、そこらへんでマウント取れると思われちゃうんだろうなあ~。つらつらら

みんな嫉妬や自分の不幸を、大義名分あるフェミニズムやポリコレに置き換えてるんだ!このギスギスした空気は嫉妬が原因だ。

大多数の人が、自分の意見とか感想ではなくて、適度にまとまったコンパクトな情報を見に来ていると確信した時には、なんというかつらくなった。

それはぼくが嫌うまとめブログと性質としては変わらないからだ。

閉塞感から圧迫感ある社会へと変貌し、互いに攻撃し合う社会へと移り変わりつつある。閉塞さの中で息苦しさを感じつつ、それに耐えきれず、圧迫が出てきた。そうなると、今度はつまらない、しょうもないことで、不安を煽り、他人と比べあいマウントを取り合うようになった。どちらが上で、こっちが上でと繰り返すようになった。儀式的なことを重んじ、形式主義に陥った。

一言でいえば、余裕がまったくなくなった。その上、ストレスは溜まる一方なので、攻撃的になった。まったく話さないか、他人を攻撃するようなコミュニケーションしか取れない人が増えたなあと感じる。そんな社会はただただ息苦しく、呼吸をするだけで精一杯である。

大別しないから、性差だけみたいな、細かいところからいくから。
・強いひと
・弱い人
・まんなかぐらい

これで分けて議論しろ。性差で見るのは時間と労力がかかりすぎる。って言えない社会だわな。もう合理じゃ通じない。

医学部・医師会ってムラ社会っていう前提があんのね。それじたい問題なんだけれど、それを踏まえずに発信するとこうなるわけ。このバカどうにかしろ。


付属・系列病院に研修医として派遣させたり、勤務するのは別に珍しくない。というか、どこの大学でもさほど差はなく、付属病院に勤務する。これはべつの問題ではあるけれど、東京医科大学への受験がまるで病院勤務まで直結する、そういったミスリード・デマは言語道断甚だしい。

東海大学 医学部
https://www.u-tokai.ac.jp/career/data/employment/igaku.html

日本医科大学
http://up-j.shigaku.go.jp/school/category04/00000000266301000.html

東京医科大学
http://www.tokyo-med.ac.jp/med/media/docs/f53b4ad0de5615c40f4c5c721c85bd3a40ce3313.pdf


どこの大学でもやっているからいいじゃないか、という話ではないけれど。少なくとも、東京医科大学がこの点において責められる謂れはない。この記事さっと読んだけれど、まったくもって東京医科大学に限った話ではない。この著者は以前にも、クエスチョンマークがつくような、きわめて不正確な情報を出している。東京医科大学とタイトルに冠し、アクセスを稼ぐ前に現状を見ろよハゲ。プレジデントみたいなクソしょうもないビジネスサイトの扇動に乗せられるな。

医者不足って騒がれているのなんて、何個も原因があるわけで。医学部の定員増加もしない、面接差別がある、という前提を共有せずに、性差だけで問題を見た結果がこの問題を取り巻く現状です。つまりね、みんな外れたことは言いたくないんだ。正解だけ、「間違いのないこと」を述べたい。ポリコレというのは、そういった、「間違っていない」と断言できるだけの思考力がない人間のための道具です。この記事も同じ。外れてはいないでしょ、とりあえず、東京医科大学を矢面に出しておけば、データや情報が間違っててもみんな許すわけ。だって、「主張は間違ってない感じ」だものね。

作画兵団みたいな言葉を忌み嫌ってる人たちいるけどさ、キャプチャ画像をツイッターで貼ってクソしょうもない一言添えてキャッキャ騒いでるって根本としては同じことじゃない?なんで忌み嫌ってんのか分かんないけど、俺から見たら同じなんだよね。

理解できないものは、やはり恐ろしいという考えが根本にある。そこからなんだろうね、女性的な精神が受け付けられないのは。ただ、これはおれが、「理解できないものを、否定せず受け入れ」ると、解決する話だよね。別に異性愛者には間違いないんだから。異性愛者であるけれど、なおかつ理解できない存在を避けているだけの話ではないのか。その回避が、トランス願望につながっているような気がするんだよね。要するに、女性を理解できないんだったら、あるていど理解できる男性的な人物と街を闊歩したい。しかし、自分は同性愛者ではない。よって、自身が女性へと変身する必要がある。というのは当然の帰結じゃね。論理破綻してないとおもうけど、どうだろう?


だから、同性愛者ではないとおもう。というか、同性愛者に失礼だとおもうんよね。だって、女性の精神・思考が、理解できない・受け付けられないという点で回避しているだけだものぼくは。それを、同性に愛情を注ぐホモセクシャルと同じにしては筋違いでしょ。彼らは美しいじゃない。ぼくはどっちつかずの中途半端な生きものだよ。

つまりさ、自分が気楽かどうかということが最重要なのよ。クズと言われても仕方ないけれど、相手に合わせて、気まずい時間を過ごしたくはないじゃん。それだったら、気の知れた友達と遊んだほうが楽じゃんと。まあ、一言で言うと、幼稚なんだよ。新しいこと、わからないことへのチャレンジ精神がないんだろうね。もっというと、失敗が怖いんだろうね。セックスもそういうものじゃん。ぼくがセックスの話をしたくない・避けているのは、初めてのとき大きな失敗をしたからだよ。あれは最上級のコミュニケーションなんだなあって、終わったあとに理解をした。そういう幼稚さがあるよね。

ふと、キャミソールを着て、街を闊歩したい、そういう欲望がある。で、以前からホモセクシャルではないか、そういう気質があるのではないか、と指摘されていたけど、今日ある理屈に気付いた。これはホモセクシャルというよりは、「相手に対し、男性的な精神を求めている」だけである。女性的な精神への恐れ・不安から、親しみ深い男性的な精神への欲求が高まった。しかし、ホモセクシャルではない。

この矛盾を解決するためには、自身がトランスするしかないのだ。そのために、トランス欲望、もっといえば、メスになりたい。キャミソールを着て、オンナノコになり、街を歩き回りたい。そういう仕組みで、トランス願望というものが流行している。少なくとも、ぼくはそうである。

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