IAKINGLY_UMA

馬、ゴシップ、その他生活モロモロ→本館はGOMISTATION

2018年05月

を見抜く時代なのかもしれない。

やはり多くの人が誤解しているのは、自分だけが、その宣伝の対象者であり、それで不愉快な思いをすれば、みんな同じように不愉快であると考えていることである。

で、実質的には、イヤな広告というのは誰しもある。今回のような、別にちょっと不愉快かもしれないけれど、ありふれた広告をいちいち潰していっても仕方ない。意味がない。みんなが満足するコマーシャルなどは、この世の中には存在しない。のであって、それを求めると、真っ白いキャンパスに、真っ黒な文字で、午後ティーと書かれた広告だけになる。軍師気取りは山ほどいて、こうすれば良かったんじゃないのか、ああしたら批判されなかった、とあるけれど、すべて結果論である。

今回の午後ティー広告は女性蔑視ではないし、それを勘違いしたフェミニズムが攻撃しているのを見ると、やはりこの人たちは正義ゴッコがしたいのであって、待遇や地位の改善などしたくないのではないか?と思ってしまう。

ここまでくると、まあ被害妄想である。男性を小馬鹿にしたcmなどいくらでもあるのに、それには性差的な批判を突きつけない時点で、一貫性がない。すなわち、女性視点でしか、性差問題は発生しないと、大きく誤った考えをもっている。そう思わざるをえない。

事実というのはみた人によって変わる。客観的な事実は、存在しえないように思う。一次資料ですら解釈で多数の事実を生み出してしまう、まあこれは与党の言い訳が多くを占める。

となると、合理とはなにか。という問題になると思う。たとえば野党の審議拒否は、合理的に正しい。けれど、イメージとしては悪い。合理への比重は下がり、イメージの時代へと移り変わっていく。

ケネディは選挙中に化粧をすることで血色を良く見せた。イメージ戦略が全て悪いとは言わないが、あまりにイメージに偏重はしていないか。

ぼくらは人間である。人間である以上、合理が中心である。議場において、嘘をつく、はぐらかす、改ざんされた証拠を出す。このような議場で、議論をしても意味がない。間違った前提からは、間違った結論しか得られない。にもかかわらず、野党はサボっているらしい。

一発で目を覚ましたあげた方が良い。集中審議時の、玉木と安倍の議論を見せれば良い。無編集でね。

たった少しの質問に、国として応じる立場にないと答弁拒否を繰り返し、明瞭な説明がまったくない。真摯な解明など上っ面の、綺麗な言葉を、そのまま受け取っている。怒っている人がいつの間にか悪者になっている。これは果たして正常か?正常ではないから、野党はこれだけは直してねリストを政府に突き付けた。4つほどあるが、すべて拒否された。どつ議論しろと言うのだ。これで審議拒否すると、野党はサボっている、と見られるらしい。ボイコットもサボタージュも知らないのだろう。

いわば、デタラメな雇用契約者を作られ、残業代未払いにも応じない会社に対して、抗議のサボタージュをすれば、それすなわちサボりとなるという理屈だ。それをよしとするならば、一貫しているけれど、たいていのひとは嫌だろう。承諾していない事が勝手に追加されて、労働時間が伸ばされたり、交通費が削られたり、もしくは社保が折半ではなかったりするかもしれない。

一年間にわたって国会を空転させたのは、まごうとなく政府である。政府がないと主張した財務省の資料は見つかった。秘書官が行ってないはずの愛媛からは、県職員が作った日誌に訪問が記載されていた。3ヶ月で処分したはずのイラクの日報は、ダンボールで見つかった。

正しい怒りと、正しい合理を粘り強く進めていくしかない、とおもう。このままいけば、間違った議場で、間違った結論と法案が作られるだけである。それが国民と国にとってプラスになるとは、ぼくは到底思えない。

中立さを出す、きちんと表現するのは容易いことではないように思う。で、フェミの揚げ足どり問題にしても、正確無比に述べたところで、相手はどうせ話する気ないしなーとか考え始めたら適当にならざるを得ない。良くないね。

大多数のフェミニストは方向を違えている。女性の地位・権利を、男性と同じものにしなければいけない。向上させなければいけないが、それは男性を攻撃する理由にならない。また、駅のキャラクターや、言葉尻を捕まえて、揚げ足どりみたく、女性差別を叫ぶ。フェミニズムはいつのまにか、女性の地位・権利を向上させることより、単純に批判しやすい、表面的な性差問題を見つけて、リンチしているだけのように思う。それがグリッドガールであり、レースクイーンである。

けっきょく、それで世界は少しでも良くなりましたか?と問えば、ノーだろう。グリッドガールを仕事にしていた人の仕事をフェミニスト団体は保証するのか?彼女たちが誇りをもってやっていたのに、本人達の意見を聞き入れず、潰してしまうことはただの自己満足ではないのか。世界をより平等にするために、スタートしたフェミニズムは、いつからか、現実問題に対処することを辞めて、くだらないことば遊びに終始している。

言葉尻を捕まえて余計に世界を息苦しくしている。ので、意味はない。セクハラはダメ、男女で雇用の差があるのはダメ、といった主要な問題をきちんと推し進めていくべきではないか。結果が出るまでには相当の時間がかかる。だからこそ、短絡的な承認を得るために、男性や同性を叩いたり、仕事を奪ってしまったりしているように映るのだ。難しい、不必要なカタカナ語を使い、知性のようなものをアピールしているが、それは他人へと伝える気がない。本当にフェミニズム議論を他人に伝える気がある、キャンペーンとして広げる気があるのならば、誰にでも分かりやすく説明するはすだ。よって、こんな難しい言葉を知っている自分、に自己陶酔している。本当に良くない。また違う記事で書くが、ここまでこじれてしまうと、いったん論点の整理をした方がよい。本当に推し進めるべきことはなにか?そのためにすべきことは、本当に言葉あそびなのか?常に問い続けるべきである。

このページのトップヘ