IAKINGLY_UMA

馬、ゴシップ、その他生活モロモロ→本館はGOMISTATION

2018年01月

ついでだ、漫画村について述べておこう。まずは、違法サイトである。これは当然として、肯定する気はない。それで、ただ、漫画村っていうんは一つの正解なんだよね。Web上で出版社の垣根を超えて、漫画を読むことができる。いちいち電子書籍を購入するというビジネスモデルがいかに面倒くさいものであり、いかに購買意欲を削ぐかというのが分かったと思うんだ。

それで、漫画村を潰した上で全部パクっちゃえばいい。求められているものが分かったというのは大きい。出版社の垣根は超えられないかもしれないけれど、Web上で採算が取れるように展開すればいい。月額登録でもいいけど、ごくごく簡単にした方がいい。アプリをリリースして、ナビタイムみたいに月額500円くらい取っちゃえば、儲かると思うんだけどなあ。甘いか。ニコニコもようやくログインがなくなるからね。もはやアカウントというのは古いものになりつつある。一つのアカウントであれこれできた方が利便性は高い。

とりあえず、海賊版はクソだけど、彼らは一つの正解なんだから、潰して賠償請求してそのうえでパクっちゃえば一番いいと思う。エミュもそうなんだけどなあ、ちゃんとゲームしたいのよ。バーチャルコンソールだとコントローラーが異なるから、これはなんか違うなあと思うわけ。だから、これも正解の一つと思うけど、そこまで市場は大きくないんでしょう。公式エミュみたいなん出した方が、よっぽど良いと思うけどね。




思い出した、そうだ女の子についてだ。それで、まず、ぼくは同級生や同期の女性と喋れない。正確に言うと、何を喋っていいか分からない。男だったら際限ないから、何だって良いんだけれど、女性ってなにか特別な話をしなくてはいけない、そう長年思い込んできた。で、話題なんてのは特に必要ないし、女性の問題は解決してはいけない、女性の話に頷くだけでいい、という、コペルニクス的転回を受けて、衝撃は大きい。いやいや、苦労があるなら問題は解決した方がよくねえか。と思ったけれど、「仕事きつい」っていうお兄ちゃんに対して、「じゃあ辞めれば?」っていう真面目な解決は確かにないんだよね。いや、ある場合もあるけど。

男女8人くらいで夏祭りに行ったけれど、女の子に話かけられるとすごく緊張した(「せやねんな」ぐらいしか返さず会話続かず)ので、けっきょく仲の良い男友達とロケット花火を打ち合っていた…。いや、楽しかったけどね。8人とか複数人でいくと、それに合わせないといけないから、きつくて、やっぱり2、3人で遊ぶのが今でも一番楽しいなあ。複数人はめんどうくさい。

というか、今思い出した、過去でもこんなタイトルで、女の子と喋れないの記事にしたわ。ツイッターとかでも、女と分かると距離を置くもの。話題が違ってたらあれだから、と思ってしまう。そもそも、女性も大して話題が変わらないことは驚いた。学ランを12年間着ているだけはあるな。

それで、いちばん仲の良い友達も、よくよく考えてみれば、自分から話題を振ることはほとんどなく、相手の話を(じゃっかんめんどくせーと思いつつ)聞いてるだけなんだよね。仲が良い友達は、おおよそそんな感じで、意識して話題を振っているか、と言われたら、ありゃ違うなと。別に無言が続いても気まずくないし。そういったことで、今度からはオンナノコに対し、あまりアドバイスとかせずに臨んでみたいとおもう。機会があればのお話だけどね!

書くこと忘れたが…スマホで更新するか

佐々木啓吾は天下を掴むでしょう。ズヴィズターから好きだけど、デフォルメが上手い!とくに目のあたりがうまいのかなあ、よく分からん。これからは佐々木啓吾と野中正幸がアニメの中心となる。そう予想している。

黒田優花のエフェクトは最大限、僕は評価しているけれど、最近はお仕事されてないね。彼女ほど優れたエフェクトアニメーターは今いないのに。もったいないとしか思えない。

こんなの書くのは珍しいね。自分でもそう思うよ。

これはちゃんと分けると、画面、音の2つに分かれる。それで、画面はカットそのものと、全体に分けられる。さいきんのアニメは多分ダレ場に相当するものが少ない、だから疲れる。

カットそのものも線が多くて撮影もいっぱい色もいっぱい。これだと休む暇がない。見てる側が考える時間を設けないと基本的には面白くならないとおもうな。ポプテは、カットそのもの、もっといえば、簡素なキャラデ、簡素な背景で、カットそのものは情報量が少ない。その代わりに、積み重ねられる全体のカットは多くて、音声も異なる。情報量がきちんとコントロールされているとおもうんね。

情報量は少なすぎてもとうぜんダメだと思うけど、さいきんのは多すぎる傾向な気がするよ。全てを高品質にしようとしていて、疲れる映像になってしまっている。クオリティは高いけど、全体はコントロールできてない状況じゃないかな。

いろいろな問題や話題で「エビデンスがないものはダメ」というのがあって気になった。まあ、根拠がないと、理屈がないと、そりゃダメよねという軸は同じだけれど、今まさに、そのエビデンスが崩れ始めているのではないかと思うんだよな。

合理的につらつらと述べた文章でも、「権威」や「実績」、もしくは「好み」が紛れ込んでいる。それで、そういったものを含んだエビデンスが果たして確実なものか、それについて、よく分かんなくなってきている。簡単に言うと、「これは正しいのか、そうではないのか」といったことが、エビデンス以外のことで曖昧になっている。

僕らは、宇宙から小説の一説まで、さまざまに興味がある。その中で、全てに専門的になることはできない。だから、頼る他人がいる。これが専門家だよね。それで、今は専門家まで疑わしくなってきてしまって、エビデンスを出しても、信用できない。そもそも、自分が信用できないんだろうけど。

それで思うことは、やっぱり専門家以外にも、正確にいえば、誰にでも質問しやすい雰囲気の方がいいと思うんだよね。分からないことは分からない、で恥ずかしいことでもなんでもない。年功序列関係なく、様々に質問できた方がもっと楽だよなあと思う。そういう空間が減っている気がする何となく。


配信で「追っている人の作画パートが分からないとがっくりこないか」、という主旨のコメントがあった。で、まあ、簡潔にいえば、「がっくりはするけど、いちばん重要なのはそこじゃないから大丈夫」という感じである。

正否に関係なく、映像において、どうしてこのパートがその人だと結論付けたのか、そういったことを根拠を用いて述べるのが一つの面白さだと思っているので、結果はまあ、(合ってるに越したことはないが)どっちでもいいよねと。間違っていても、理屈が通っていれば、それは良い間違いで、無駄な歩みではないだろうということ。すなわち、通った道筋、どのような思考を経て、その作画は誰かのパートと結びついたのか、といったことが最も重要だとおもうんよね。それが個々人によって異なっていて、たとえば、タイミングから見る人や、ディテールで見る人がいて、その見方を共有することこそが、醍醐味であると思う。

ただ、作画の素晴らしさに感動するのも良い。それと同じくらい、ハイニッチな領域のお話をするのも楽しいし、面白いものを開陳して紹介するのも楽しい。ぼくは、楽しいか楽しくないか、関心がない、ぐらいのシンプルさでやった方が確実に良いと思っているので、複雑化しない。作画崩壊を叫ぶ人を矯正するなんて手間のかかることはしても仕方がないし、作画に関心を持ってる人を引きずり込む誘い込む方がコストは少なく済む。名より実を取る、ことがもっともよい。

それとこれとは別にして、カラー2号機よはやくおれの質問に答えてくれ。なんで王立宇宙軍が話題になったときに答えてくれなかったんだやっぱクソだわ。

カップ麺特集ありだなあ、ハリマオとか美味そうだもんね。湯気とやかんとか、そこら辺を比較したら割と面白そう

過剰サービスは人を殺す。まさしく、誠実という体のいい言葉に振り回されて、日本という国は衰退していくのだろうなとおもう。選択はいつだって迫られるが、熟慮されない選択はいつも必ず負荷が伴う。結論ありきで進んでいく。そうなってしまっては、まさしく、思考の意味も、学習の意味もないだろう。

ガリレオ・ガリレイが解散して、髭男があんまり注目を浴びない。ロックは日本の気質に合わないのだろう。シシャモはティーンに受けてるけど、ボーカルがあかんからなあ。わりと好きよ。

代わりに、これは10年前と変わってないとおもうけど、ラップ系なんだよな流行るのは。オレンジレンジ、モンパチ、このへんは鮮明に覚えてる。

9mmとかゲスとかそんな感じじゃん。もっと正確にいうと、エレクトロニック、ピコピコな感じかなあ。音楽の造詣深くないからどうにもだけど。

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