ノⅠ了=Ⅰ(別館1)

雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

2017年11月

最近どうにも、やりたいことが分かってきたような気がして。教科書みたいなものを作りたい。別にどんな科目/ジャンルでもいいんだけど、教科書みたいなものをとにかく作りたいんだなと。それはスロットも含まれるんだけど。RT/RT移行とか、なんでジャックインのシステムが必要なのか。とにかく、わかりにくいものをわかりやすいものに整理しなおしたい、みたいなのは、やっぱ原点かもしれないなあと思うようになった。

で、ぼくは教育家庭だったけれど、あまり塾とか行かなかったのね。塾行くと体調悪くなっちゃって、だから自宅学習になった。んで、中高生ですごく分かりやすい参考書とか教科書に出会って、ああこれは素敵な仕事だなあと思うようになったのね。たった1000円で自分の理解がまったく変わるっていう点が、ぼくにとっては革新的だった。そこらへんとブログは直接には結びつかないんだけど、精神的な面ではきちんと結びついてきたかもみたいな。

理解すること以上の快感はこの世の中にないんですよ。たぶん

手垢のついた紙に興味はあるかね。僕はとんとない。それが、良いか悪いか、はたまた面白いかによってのみ、評価は決定されるべきだ。自分の目を信じるべきだ。この世にたった一つしかない、自分の判断を信じてあげるべきだ。

6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。アルベルト・アインシュタイン

これがもっとも、寛容的な社会を作るものだとおもう。まだおもうレベルだけれど。僕は知らない、理解していることが少ない。「これってどういう制度なんだろう?」と質問できる、ゆるい空間が必要だと思うんだよ。寛容的な社会には。でも、現状って逆じゃん。みんなさ、よくわかんねーミソジニーだの、ネオリベラリズムだの、専門用語の使いすぎで、他人よりも優位に立ちたい/他人を排他している感じがすんのね。こういった言葉を使うから俺は賢い、お前らとは違うんだ。みたいなww

意図の有無に関わらず、というかまあインターネットとかパソコンはどうしてもそうなってしまったという感じがするけど、あれってとっつきにくいじゃん。プロトコル?OS?つまり、どういうこったよ、理解できない。理解できないものは恐怖の対象となるから、議論に参加する人が減ってしまう。これは民主主義的にはまずくないすかね。

んで、こちら側の専門用語を使うじゃん。そうすると、だいたい薄っぺらい知識しか持ち合わせていない人は、暗に怒るのよ。「教養/常識外の専門用語なんか使わずに、きちんと説明しろ」と。いや、それってお前らが勝手に決めた常識の範囲じゃん。勝手に定義すんなよと思うわけ。だったら、最初から、よく分からない言葉を使うんじゃねえよと思うの。もちろん、用語の利便性は理解しているし否定もしない。だけど、あまりに専門的な用語がふさわしいかといったら、そうではないよね。問題を解決するために必要なのは、新しい言葉を作って内輪で満足することよりも、まずその問題にどのような手段でもいいから自分の考えで意見を作ることだと思うんよ。言葉遊びに終始してたらさ、いつまで経っても、みんなの意見が見えてこない。で、最低限の知識さえも要らないと僕は思っている。日本の初等教育だけは優れていて、識字率が高い。だったら、いろいろな事柄を考える際に、だいたいの人はとくに問題はないと思うんだよね。


と、これまではずっと思ってきた。けれど、ちょっと疑問なんよ。僕のブログは、ほとんど難しい言葉なんて一切ないでしょ。これは別に僕が生み出した考えでもなくて受け売りだから、そうやったんだけど。それで、難しい言葉を使わないのはいいけど、それでみんなは本当に作画やアニメに興味を抱いてくれるのか。もしかしたら、クイズ大好き国民性質的には、難しい言葉や専門用語をバンバン使っていった方が興味をもつかもしれない。だから、わかりにくい事柄を2割ほど入れてみようと思う。人間の脳みそって2、3割は理解できない事柄があった方が興味が増すらしい。どうやって入れてみようかな。

僕は2009年に麻生政権が衆院選で完敗し、自民党が1996年ぶりに下野したことが、「まとめブログの意図的な流行」の一つのきっかけとなっていると思うんだよね。これはまったくの陰謀論だから、笑われても仕方ないんだけど。大手まとめブログの、ハムスター速報、やられやく速報(現・やらおん)、はちま起稿、痛いニュース速報、このへんは、だいたいどれも2008~2010年に開設してる。この時点で、官僚の賢い人は、今のような、人々がスマートフォンを持って、インターネットをお手軽に閲覧できる時代が来ると分かっていた。テレビが信用を失うことを見据えていた。僕でもなんか便利だな、ぐらいには感じていたんだから、先見できて当然だろう。んで、これを利用する手はないと思ったんじゃないのかな。彼らを使って、社会情報と株価を操作しようと試みた。一般人は、2ちゃんねるに対しては、怖いイメージがあっても、まとめブログにはほとんどない。

そして、これが万一失敗しても、デメリットはまったくない。まとめブログ管理人は、お金のためにやっている連中がほとんどなんだから、多額の金銭が振り込まれたりでもしたら、それを信用する。で、それを信用したら、記事の内容も変わってくる。結論から言うと、大手まとめブログは、アフィリエイト収入なんてのは、彼らにとって大したものではなく、もっと多額の金銭か、何かの保証をもらっているのではないか。だから、これだけ逆風が吹いている中でも、更新を続けている。企業のような感じでやっていると思うけれど、その実態が掴めないんだよな。一つのネット関連会社に偽装してやっても、バレたとき相当にヤバそうじゃない。だから、わざわざ企業になるメリットってほとんどない。

個人の嗜好をすべて拾うことができないのは、「ろばを売りに行く親子」の寓話によって、明らかだ。にもかかわらず、やれエロ本を売るなだの、日清サザエの広告はこうではないだの侮辱的だの文句をつける。コマーシャルを知らないんだろうか、だれもあなたをいつも対象にしているわけではない。極端にいえば、男性が女性用化粧品のCMを見て、「こんなもん俺には関係ないし、不愉快だから流すな。堀北真希じゃなくて、上戸彩を使え」と言っているのと同じである。馬鹿げた発言だというのが分かるだろう。


多様性を主張する割に、ネット住民は、自分に利益的でないもの/好みでないものには、非寛容である。そんなに非寛容では、社会の多様性は実現できないだろう。つまりは、その立ち位置での発言に留まるのみだ。タバコを吸わない人は、たばこの税金について文句を言わない。同じ税金であるにもかかわらずだ。冷遇を受けている人を見放すのと何が違うのかいったい教えてもらいたい。もはや、多様性の実現などは夢のまた夢である。無茶苦茶なマイノリティの増加は、結果として寛容でない社会の形成を促進するだろう。

規制と緩和が、このまま感情論/扇情論でいくと危ういなという気持ちがある。合理や優先度別に区別した方がよい、きわめて、レイシストのように聞こえるだろうが。そうも言ってられない。きちんとした属国になる日は、そう遠くないように感じる。

某知人からセカイ系の成り立ちを教えてもらった。どうにもじぶんが認識している意味合いは、誤っていたが、現状ではもはや正当という矛盾めいた、意味合いとなっている。

セカイ系は、内省的な面のみで構築された世界のようで、そのまま物語が終わってしまう。彼らの認識の範囲以外は、どうでもよい。つまり、極論すれば、主人公とヒロイン以外を必要としない。で、もともと、セカイ系とは、そういったポストエヴァ的な作品に対して、皮肉った言葉であった。そうして初めて、エヴァを客観的に評することができたらしい。

ここからが問題である。現在のセカイ系の意味合い、当初のそれとは違い、内省的な作品に対して好意的な意味合いを強く持つようになってしまった。すなわち、成り立ちを知る者と、知らないものとで意味合いが異なり、議論において混乱してしまう言葉となってしまった。

ぼくは、何度も言うように、議論に向かない曖昧な言葉は使うべきではないと思っている。もしも、そうとしか言えないのであれば別だけれど、定義をしっかりと固めてからでないと、砂の土台にコンクリートを積み上げるかのごとく、議論は不安定となる。そもそも、今のアニメファンが議論を欲しているとは思えないが。

議論は不必要となっている。エセ評論家のマスターベーション的利得評論と、個人的な愛の発信のみによって、現在の評論舞台の99%は占拠されているだろう。

配信に根本から向いていない。普段の会話からしても、僕はいつも話を聞く方だし楽だ。なんだろう、配信は1人喋りだから楽だろうなあと思ったんだけど、こんなにも難しいとは思わなかった。舐めていたな。声も高くて良くない。「安心」というのが、まず大事なのだ。愛想笑いの達人の自分には、薄っぺらい安心しかないのだ。

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