☆chiakiちゃんのブログ☆(別館)

日々の徒然、雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

2017年09月

いまいち確たる情報を掴んでいないので、言及も微妙になります。ヤオが何をしたのか、製作に無許可で二次商法したのか、角川が何をしたのか。まずは、落ち着いて、これから先に公式アナウンスが出るのを待つべきです。

ただ、「たつきは全く悪くない!たつきを守れ」という主張には乗る気になりません。彼の最終ツイートを見るに、ファンを扇動したのは明らかです。その点については、子供じみているな、としか思えません。まあ、なにぶん情報が少なすぎる、そう思わざるをえないというのが本音です。カドカワに対して、良い印象はありませんが、彼らが何かをした、と決めつけるのは早計です。

ヤオヨロズとして、「何がベストか」を自分が考えたときに、「けもフレの権利をほぼ捨てる」ということです。そもそも、製作委員会方式をとっているのですから、出資者ありきであります。彼らの出資がなければ制作できません。ですから、商業二次の制作には製作委員会に許可をとる必要があります。彼らのお金で成り立っている商品です、こればかりは仕方がない。そういったしがらみは、製作委員会方式において、確実に起こりうることです。庵野秀明に習えば、「エヴァ」の権利問題をクリアにするために相当の労力を払ったでしょう。それぐらい、版権というのは面倒くさいものです。

話を戻しましょう。とにかく、彼らは素晴らしいアニメを作った。今、たくさんのファンがいる。そうであるならば、新作を作るべきです。それがヒットするかどうかは分かりませんが。で、同じ轍を踏まないように、完全に権利を握ればよい。つまり、自分たちで版権を新しく作ってしまえばいい。CFで募れば、いくらでもお金は集まると思います。ですが、これから後手後手に回ってしまうと、今いるたくさんのファンを失う可能性は高い。ですから、けもフレの版権については、残念ですが、諦めることがベストと思います。ヤオヨロズは知りませんが、たつき監督には信頼がある。今が最大のピークでしょう。ここを逃すと、もう「けもフレ」だけではなく、彼の監督作品を見れなくなってしまうと思います。それが最も憂慮すべきことではないでしょうか。茨の道とは思いますが、これ以外に僕は方法が思いつきません。利害関係者ならば、もっと入り交じった感情があるのでしょうね。僕としては、「たつき監督が新作を出す」とアナウンスを出し、そのままCFで資金を募るのが、現状を見るにベストと思います。


本題はけもフレではありません。けもフレの一連の流れや衆院解散を見るに、とてつもない不信感を感じました。カドカワや製作委員会の公式アナウンスを信じられないという人々の気持ちも何となく理解できます。おそらく、ここ4、5年は「閉塞感」といったものの方が強く感じられていたでしょうが、それは不信感を黙殺していたために、生じたものだった。閉塞は今ほぼありませんが、代わりに不信感が広がった。広まりつつあると思います。ということは、宗教がブームになるかもしれませんね。ああ、それがけもフレかもしれませんし、自民ネットサポーターズかもしれません。

大谷 メジャー挑戦へ代理人選びの面談始める 米サイト報道
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170927-00000009-spnannex-base

ね?言ったとおりでしょ、今年は日ハムにとって、オオタニという商品にキズがついてはいけない年だったんよ単純に。WBC辞退→フットサル報道→2017投手・野手起用ほぼなし。呆然ですが、活躍はしません。これはまあ、至極とうぜんのことです。彼のフォーシームは、終速と初速の差が大きく、いわゆるノビがない。

選手情報-大谷翔平
https://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/1200087/

メジャーから見れば、大谷の今年度の成績など、どうでもいい。それまで、安定した成績を残していたわけですから、別にそこに関して不安はない。その上、投手を徹底的に”消耗品”として管理するメジャーの考え方を見ると、日ハムはメジャーの「日本プロ野球などで、”消耗”して欲しくない」という考えに寄り添ったわけです。今風な言い方をすれば、「忖度」という形です。もはやWBC前、2月には今オフのポスが決定していたのでしょう。

まあ、こちらとしては、プロ野球ニュースで、大谷の名前を見る機会が減って嬉しい限りです。その代わりに、清宮のニュースはとうぶん続くでしょうね。まあ、こればかりは仕方ないかなあとも思います。

「怒り」という感情は正しい。憤るということは人間に生まれた以上、いや、この世に生まれた以上、あらゆる生物が持つ原始的な感情だ。ただ、「怒り」に付きまとう、「どうしようもない感情」はそれとはまた違うものだ。「怒り」が瞬間的、スタート地点だとすれば、それは、あらゆる人に存在する。しかし、「どうしようもない感情」の処理によって、人々の「行為」は変化する。

変えられることは変えればいい。未来や、もしくは過去のことについて、不安や怒りが生じても、それはスタートであり、行為は考え方次第でいくらでも変わるのだ。究極に合理化すれば、「自分が変えられないことに対し、労力を払わない」ことが一つ。”晴れていれば”、”電車が遅れていなければ”などに憤り、ただただ怒りに振り回されても仕方がないのだ。雨の場合を想定し、電車が遅れても余裕をもって行動する、それが、おそらく進歩と呼ばれるものだろう。もう1つは、「労力に見合っただけの成果が得られそうにないことをしない」ということだ。ケチをつけられて裁判沙汰を起こしたとしよう。弁護士を雇い、何度も書類の整理と立証の確認を行い、突破したときに、自分にとって利益があるか、と考えたときに、なければ、しない方がよいのだ。ただ、ここは難しい。

ブラックな違法労働を告発した男性は、数年ほど費やし、自分の労働環境の酷さを訴えた。それは同時にさまざまな人に勇気を与えたのだ。彼にとって、利益は少ないが、社会的にとっては、とても有意義で利益は多い。一見すると、無駄な行為に見えることは、他者や、もしくは未来の自分に役に立つ場合がある。そういう点で、一概に、利益という基準では語ることができない。

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