自分は、キャラクターの造形や、物語の類型はどのようなものが好きなのか、について不明点は多い。極めて、自分は、物語性の強いもの、ストーリーがひたすらに展開されていくものは苦手だと思っていたけれど、実は違うのではないか。それに興味を持とうとしていないだけで、望遠鏡で覗き込む範囲が違っているだけで、実は興味をもっとも抱いているのではないか。そのように思うことが増えた。

キャラクターの造形については、不明点が多い。兄貴からおすすめの漫画を買ってくるように頼まれた後、書店で眺めていると、どれもピンとこない。まっさらになんの情報も持たずに単行本を買うときなどほぼないから、何を基準に買うのかよく分からない。そこで、キャラクターの嗜好や、物語の嗜好が必要なのだろうけれど、それを持っていないので分からない。

悩んだ末に買ったのは、「レディ&オールドマン」という漫画であった。表紙の絵に惹かれた、ような気がした。ー『しかし、これは、サブカル女子が読むような漫画ではないか?』ー。そういう人と同じではないと否定したく買うのをやめようと思ったけれど、自分の直感を信じた。お話は、ゆったりと進んでいく。陰影もキレイに使われていて、時間が止まっている瞬間がある。

さきほど否定したかったことは、もっと正確にいえば、女子のような自分だ。ボーイズラブに興味はないと思うけれど、別に嫌いではない。美麗な男性同士の絡みというのは、世間の男性ほど嫌いではないのだ。断っておくが、ポリコレはまったく関与しない。そのような見栄は張っていない。素晴らしい絵柄だと思うのに、「このような絵柄を僕が好むのか?」という気持ちを、否定したかった。それが、明らかに間違っている、というのはわかっているのに。つまるところ、絵柄について、男女の好みがあり、そうなるべき、と思い込んでいる。もしくは、「他人と違う絵柄を選んで通ぶりたいのではないか?」という、変な気持ちが湧いたのかもしれない。どちらにせよ、思慮しても有意義ではない。

そうなってくると、やはり、他人や世間の”そうなるべき事”など、バイアスでしかないな。他人は否定するものでもなんでもなくて、ただの他人でしかないのだ。そういう傾向はあるんだなという程度のことでしかない。

話が逸れた。このような事を考えるのも、まあ、横道に逸れて、同じ結論に辿り着くとしても、ムダではないと思う。確認しないことには、納得しないことには、それを本当に受け入れることはできないから。けれど、何故この絵柄が好きなのかを追究した方がはるかに有意義なのは間違いない。


閑話休題。こう考えていくと、自分の価値観や嗜好というのは、思ったほど、はっきりしていない。エフェクト以外のものについて、これこそ自分の好みだ、などと言い張れるものは、まったくないのだ。サブカルに触れる時期が遅かったというのはあるにせよ、もう少し、自分の嗜好というのは勝手に明確になっていると思っていた。すなわち、自分の嗜好というのは、勝手に明確にはならないのだ。

思考以外の領域において勝手に明白になっていたところで、それに対し、自分自身が意識的にならないと、自分にとって、明確にはならない。つまり、「あなたはどのような漫画が好きですか?」と問われて、明瞭に答えることは可能にならないのだ。自分が、そのものごとに対し意識しない限り、どのような辛さがあったとしても、否定をしてはいけないのだ。自分に対して、ごまかしは意味がない。