そういう点で言えば、共有知、集合知というものは非常に重要だ。以前の配信において、自ブログにおける福島喜晴さんのリストは盗まれたのでは?とコメントがあったが、それは違う。作画wikiにおいてリストを作った人と、僕の目的はおそらく同じであった。

「誰かが活用してくれたら良い」と思っただけなのだ。正直に言うと、福島喜晴作画というものを追いかける気力など無かった。でも、気になってしまった。だから、簡易的なリストを作って、「福島喜晴さんに興味はあるけれど、作品などが分からず困っている人」がいれば、その人に活用してもらいたかっただけなのだ。ただの放りっぱなしじゃないかと言われても仕方がないが。

そもそも、中身からして、情報量に差があった。所有しているのはいいけれど、持っていても、仕方がない。それならば、所有する全てを開陳して、誰かに活用してもらおう。そう思ったのではないかと感じる。誰かが有効に活用し、福島喜晴作画について紐解けたら素晴らしいこと以外の何事でもない。こういうわけで、共有知・集合知は非常に重要なものという認識である。知識を独占することに、メリットはあまり、もうない。