意図的に他人の怒りを招くような発言や記事内容によって、話題を呼ぶ方法は、炎上商法と呼ばれて久しいけれど、これがもっと狡猾になってきている。記事のどこかに、「それはちがうだろ」という文を、わざと配置し、他人の発言を促す。そうして、話題にさせるのだ。

炎上商法ではないけれど、「倒れるだけで腹筋ワンダーコア」のようなCMが。もっとも構造的には近い。ツッコミ(驚いて倒れた場所に、たまたま機械がある。倒れる際の原因が、恐竜だったり、鉄球だったり不自然であり得ない、つまりボケだ)をさせようと促すことは、その物事を強く記憶に刻ませる。それはCMだから、意図的にボケを作り、ツッコませるように促す。

よくあるコマーシャルの構造をもろにパクっているのが炎上商法だけれど、昨今のエントリーはより、これを狡猾に取り入れている。全体としては納得できる内容でも、一部にボケやキズを作ることで、ツッコミを誘発させる。「これは違うだろ!」と一文句、だれでも付けれるようにする。これでめでたく話題となる。議論ではなく、井戸端会議や一方的な批判が好きなネットユーザーのことをよく分かっている、と思う。



そして、議論は前進しない。「批判なき選挙」騒動についてもそうでしょう、世代論や知性に論点をずらして、本質的な話をさせない(彼女を代議士にしたのは紛れもなく国民なわけだし、その選挙制度に問題があるんなら、小選挙区制について議論したらええがな。とにもかくにも、「今井絵理子の発言は、何が問題だったのか/何が原因で生じたのか/個人の問題なのか、じゃあ、どうすれば再発を阻止できるのか」を追及しないとけっきょく、ここ何十年とずっと続いている、代議士チェンジになってしまって意味がない)。世代論/知性なんていう曖昧なもので片付けられても困る(反駁として、)。今井絵理子個人や、現政権を叩きたいという、結論ありきのクソッタレな騒動だった(加計森友のクソさとは切り離して考えろと思うわけ、あれはクソだけど、それと今井絵理子の発言は無関係だろう。そこが引きずられると、もう頭で考えてはいない)。


結論ありき(or早計な結論)は、論理を途中で捻じ曲げないといけなくなるんです。だから、ひどく歪んだボケの多い文章になる。どうしても話題にしたい時の手段としては正しいけれど、果たしてそれで良いのか。考えに考えた結論であれば、仮にそれが間違っていても、僕は良いと思う。大して考えもしていない、結論ありきで、人を苛つかせるような文章は、けっきょく、自分の伝えたいことが届かない。それは意味ないと思うんだよな、伝えたいことが伝わって、初めて、話や議論ってスタートするものじゃないかなと思う。

思い込みは思考の幅を狭くする、思考が狭くなると、議論が局所的になる。そうなると、もう、本題からはズレまくった場所で、やいのやいの(意味のない)言い合うことになる。答えは見つからなくていいんですよ、答えを見つけようとする過程が大事なわけで。まあ、もう意図的に煽る記事(イラツイても、自分の中で納得できたら、それは良いんですよ上手く言えないけど)はシェアしない、まとめブログと同じカテゴリに入れる。