80年台の作画のなんでもアリ感、ちょっと遊んでも許されるくらいに緩い時代だったから、それを再現したい、自分も味わいたい、という点から、アトムOPはあんな感じになったんだろうと思う。暴れる事はできるんだぜみたいな。淡い背景は良かった。でも、商業でやるのは厳しと思うなあ、このご時世で好き勝手はできないでしょ。

となると、自主制作でどうするしかない。だけど、自主制作は時間もお金も一個人には大変に厳しい。金が有り余ってるパトロンでまったく介入しないっていうのも、それは稀有な才能にのみ与えられるもの。だから、フルCGで荒削りな、けもフレは、こう見ていくと、今や、好き勝手に作るという点では、最も有効な手段だったのかなあと思う。

けもフレはいろいろ、書いて考えてみたけど、「過剰じゃない」っていう点がいちばん良かったのかなあと思う。恥ずかしいことがあっても、かばんちゃんの頬には斜線が入らないし、美味しいカレーを食べても、それを表現するのは、ガツガツとスプーンで食べるフクロウの姿だった。そこが、個々人の想像力にお任せ、という感じで良かった。

で、以前に、「過剰な説明をするアニメは好かない」という事を述べたんだけど、これと似ている。つまり、視聴者・受け手側が、アニメに対して介入する、自分の想像ができる、受動的ではなくて、能動的に視聴ができる。能動的にとなると、自ら想像したり考えたりするのだから、自然と没入する。で、20分はあっという間にすぎていくみたいな。そういったノリがある。