IAKINGLY_UMA

馬、ゴシップ、その他生活モロモロ→本館はGOMISTATION

どのコミュニティにせよ、人々それぞれの嗜好は存在し、好き嫌いがある。よって、対立・衝突・意見の違いはあってこそ当然、むしろ、なくては不健全と僕は考えている。小さい衝突の繰り返しによって、あるていど、相手方の意見にも耳をかせる(まあ、たしかに、うんざりするような人も中にはいるけれど)。のであって、排他することは明らかな間違いとおもう。

まったくもって、”正しさ”など必要でないにもかかわらず、そればかり追い続けるために、排他的になるきらいがあるなと最近は感じる。個々人の感想は、それだけで素晴らしいものだ。その人の背景からしか見えない、見方がある。権威にすがった、いっけん”正しそうなもの”は褒め称えられるべきではない。

しかし、なんだろうな、文字は解釈によって受け取り方が変わる。よりひどくなった。もはや意見は求められておらず、いや正確に言うと、意見は求められているがその中身が異なる。自分の知らない、素晴らしいアイテムを紹介してもらうことこそが、意見とみなされるようになった。それで、その、教養ぽくみえるものが持て囃されている。つまり、整理するならば、「それらしくみえるもの」は危うい。

おそらくコンプレックスであり、嫉妬であり、怒りである。

<ジャップ>という一種のネットスラングは、自嘲である。けして日本人を馬鹿にしているわけではない。伝統的な慣習をあざ笑い、無個性のロボット就活を異様と感じる。そういった思いがありながら、いざ、「Tシャツ一丁でテレビに出るディレクター」に対して、否定的な感情を抱いてしまう。ふだんは、合理性のないシステムを疎んじ、憤る。しかし、現実世界、社会生活において、その内的な気持ちに対抗することができず、自然に迎合してしまう自嘲的な態度をこそ、<ジャップ>と呼ぶのだ。さながら軍隊のような、まったく同じスーツの行進をあざ笑いながらも、大量のありに押し流されてしまう。同調圧力に負けた、というよりは、主体性がない自分自身のせいで折れてしまった。それが現状である。この自嘲を超えてこそ、自由な世界は待っている。

そういったものの交換をしたいのであって、別に自説の強化をしたいわけじゃない。だれが偉いとか、優れているとか、そういったことなんてどうでもよくて、自分とは異なる視点の意見を読みたいだけ。そういったことにおいては、キュレーションサイトというのは便利に見えて不便なんだろうね。

かれらは死ぬまで世代のせいにするんだろうか。下の世代もきついよ。もうなにが受け付けられないかというと、優秀な自分たちという前提があるんだよな。

優秀な人間なんてさ、よほどよほどじゃないといないし、この世の99%の仕事はだれでもできる。選民思想が嫌いなんだろうね。

塾業界の隅っこにいると分かるけど、就職氷河期世代の父兄ってホンマ教育熱心なんよ。かれらがキツイ思いしたから、子供に少しでも楽にと思うんやろね。気持ちはわかるけど、なんだろう、そういう段階をきちんと清算してる人はうまくいってる印象だなあ。清算できんのやろなあ。

一躍ムーブメントになったsmbのはてなだが、もう派閥と村社会でごった煮している。限界だろうね。かれらの二枚舌には飽き飽きしているし、見苦しい。5ちゃんねるはいつ見ても大体楽しい。それこそ嫌儲に移る前のニュー速から楽しかった。はてなは終わりました、かれらはどこかの権威にすがり、どこかのポジションからしか発信できない。そんなウェブサービスだけど、5ちゃんねるみたくマスコミに叩かれるまでの影響力をもたず、哀れだなあとおもう。陰湿な感じが性格に合わない。かしこぶった馬鹿の集まりだね。まあぼくのはてなへの文句が減ってる時点で、関心が薄れてきたのは分かるとおもう。

ハゲを殺したのはブコメ民っていうのは理解されないんだよねえ。

ネットリンチの親玉が殺された
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180625054635

ご冥福を祈るほど関係性がないので傍観ですが、まあはてなブックマークにいくぶん行き過ぎた面があるのは再三触れてきたとおりで。この期に及んで、「匿名問題を匿名で語るな!」とかいうここに看板を立てないでください看板に怒っているアホがいるのは笑っちゃうけど。

安全圏からちょいと一文句付けたい人たちが多すぎて、個人でブログやってる方からしたらうんざりするようなブコメがあったのは事実だよ。それは他のブログ見てても思うし、こっちが行き過ぎたときはきちんと追記するけど誰も読まないよね。クソみたいにずれたコメントで傷ついた心はどこにいけばよいのかね、と思うんだけれど、まあリンチはてブ民からすると、そんなんで傷つくほうが悪いという論調なんでしょう。

「主語」だの「観測範囲」だの便利な言葉で議論を交わし、斜め上からの態度で議論や意見を軽んじてきたリンチはてブ民には態度の見直しが要求されている。自分はそうではない、一緒くたにするなと言っても世間は同類とみなす。まあサービス名が出てるかどうかは知らないけれど、5ちゃんねるよりは扱いが良さそうな気もします。本当に議論したい人は未だに5chにいるから、彼らとは一生交わらないような気もするけどねえ。

あるていど、本当のこと、合理的な「名より実をとった」ことを言うと、多くの人から反発される会話をよく見る。そこでは、理屈を超えた、情緒的な、もしくは避けがたい先入観がある世界をもとに、そのことについて思考している。つまり、現実を直視できなくなったのだ。目の前に広がる、「ダメさ」を許容できなくなったのだ。許容できなくなると、人はイエスマンしか隣におかなくなる。だからこそ、批判や意見は必要とされなくなったのだ。そして、だんだんと崩れていく。

非核化費用「韓国と日本が」 トランプ氏が会見で強調
https://www.asahi.com/articles/ASL6D721WL6DUHBI05Z.html

これがただの円借款ならいいけどさ、インフラ開発目当てだったらと考えると空恐ろしいね。拉致被害者を政治利用して、挙げ句の果てにはこの結果。アメポチここに極まれり。鳩山案のアジア版EU構想って間違ってなかったよね。もう今は無理だけどさ。

と声高に叫ぶのに、行き着く先は、みんな劣化ゆたぽん作画なのが謎。ぜんぜん自由な発想でもなんでもないよね。大義名分なだけだよね、自由って。このきたねえショックやらガヤやらなんのためにあるのとか理由があるならいいけどさ、殆どないよね。なんとなくだよね。イキリアニメーターが怖いのでブログに記す。どうせツイッターは馴れ合いだらけだし。

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