2017年04月20日

金曜日、9時くらいからやるお!

60点記事をぼんぼん作っていく中で、85点記事も作りたい、まあ目標を設けて、あるていどしっかりとした(密度が大きい)記事を書きたい。と思うようになりました。

2017年04月18日

つぎ、おれのはいしんで自分語りしだしたら、あの人扱いするんで、よろしく。まじで辞めてくれ、おめえの趣味がどうとか興味ねえ。俺が関心もたない以上は無意味だから、いくら自分語っても拾わん。いい加減にキレそう。


間違えて本館に書いちまった(削除済み)
アプリが悪い

サービスてんこ盛り、ありえないサービスが僕らの身の回りにはあって、いろんなお店が24時間営業をしている、ヤマトはアマゾソの荷物を当日配送するし、電車のダイヤには1分の乱れもない。こういった過剰な、行き過ぎると、疲弊する。ありえないサービスには、必ず、誰かしらの無茶があるからだ。

過剰は疲弊を招いた。ありえないサービスを要求するということは、自分もそういったありえないサービスを相手に供給する必要がある。この負のサイクルで、疲弊に疲弊を重ねた。疲弊を重ねていくことに僕らは限界を感じていて、それを取っ払って欲しい。しかし、どうしようもならない現実がそこにはあった。




愛されたくないし、愛したくない。そういう状況である、誰かを信頼したくもないし、信用したくもない。ならば、そうならば、やはり、嫌われ者にはなりたくない、という選択肢がいちばん無難である。リセット癖があると言われて、ああまさしくそのとおりだな、とおもった。

限界がくると、どのようなコミュニティであっても、僕は遮断する。受け入れながら、過ごすというのは、とてもつらく、いやそれがソーシャルスキルというやつなんだろうけれど、昔はできなかった。つまり、妥協点を見つけることが下手くそ。そして、はっきりと主張できないのは、昔からである。他人の顔色を伺ってしまうのは、呼吸の頻度で行っている。

だから、いまは、もはや、他人から開放され、他人を受け入れながら、というのがベターなんだろうな。客観視はへたくそである。テキストにしてみると、ある程度できたような気がする。

2017年04月17日

過剰じゃないっていうのは、大切なことなんだろうね。至れり尽くせりにサービスしても、今はもはや、それを、なんというか、冷めた目で見てしまうような気がする。「ギアス」「シンゴジラ」みたいに情報量で見てる人を圧倒するか、もしくは「けもフレ」みたく、ある程度は、想像の余地を残す。どちらかになるのかな。いや、「けもフレ」も情報量が濃い部分はあるんだよ、とうぜん。SF要素や不穏な感じは、絶妙に情報をコントロールしてると思うから、10話~11話ぐらいは頭がフットウしそうダヨ!!みたいな感じだった。

80年台の作画のなんでもアリ感、ちょっと遊んでも許されるくらいに緩い時代だったから、それを再現したい、自分も味わいたい、という点から、アトムOPはあんな感じになったんだろうと思う。暴れる事はできるんだぜみたいな。淡い背景は良かった。でも、商業でやるのは厳しと思うなあ、このご時世で好き勝手はできないでしょ。

となると、自主制作でどうするしかない。だけど、自主制作は時間もお金も一個人には大変に厳しい。金が有り余ってるパトロンでまったく介入しないっていうのも、それは稀有な才能にのみ与えられるもの。だから、フルCGで荒削りな、けもフレは、こう見ていくと、今や、好き勝手に作るという点では、最も有効な手段だったのかなあと思う。

けもフレはいろいろ、書いて考えてみたけど、「過剰じゃない」っていう点がいちばん良かったのかなあと思う。恥ずかしいことがあっても、かばんちゃんの頬には斜線が入らないし、美味しいカレーを食べても、それを表現するのは、ガツガツとスプーンで食べるフクロウの姿だった。そこが、個々人の想像力にお任せ、という感じで良かった。

で、以前に、「過剰な説明をするアニメは好かない」という事を述べたんだけど、これと似ている。つまり、視聴者・受け手側が、アニメに対して介入する、自分の想像ができる、受動的ではなくて、能動的に視聴ができる。能動的にとなると、自ら想像したり考えたりするのだから、自然と没入する。で、20分はあっという間にすぎていくみたいな。そういったノリがある。

2017年04月16日

なんで、ジャパリパークは閉鎖に陥ったのか
ミライサーバルとサーバルとの関係は? 
「人は動物だから」の件よく分からん

で、こういうのにイチイチ突っ込むと、野暮なんすよ。なんでかっていうと、これはゆるい作りだから。突っ込んでも、意味がない。世界がそういっているんだったら、それに従うしかない。

でも新しいアニメとは全く思わない。むしろ、同じようなパターンじゃねえかなあ。艦これやエヴァなんかと構造は変わらないと、僕は思うんだけど。受けるのは、理解できるのよ。だって、典型パティーンじゃん。可愛いキャラたくさん+妄想余地残した意味深ストーリー、そりゃ受けるよ。

割りと面白かったけど、これ苦手なタイプのアニメだなあ。苦手っつうのは、嫌いってことじゃなくて、物語やセリフがメインのストーリー系アニメが得意でないということ。フレンズの存在も微妙に分からんままで終わってしまった。

ない頭を振り絞って考えると、ジャパリパークにはお客さんが必要とされた(しかし、何らかの都合で脱出した)。たぶん、動物とお話できる、みたいな名目で作られた動物園なんでしょう。だから、ラッキービーストは11話でも語っていたように、緊急事態以外は、フレンズと交流しない。

で、こういう事考えていくとキリねえなあと思う。たくさんのキャラ出したでしょ、そして、人が妄想できる余地をたぶんに残して、わざと、ゆるく曖昧にした。つまり、狙って、二次創作や、考察がしやすいような作品に仕上げることによって、いろいろなカップリングやIF小説による波及も含めた、ヒットを狙った。Pはともかくとして、スタッフは狙って作ってる。

妄想が多分にできる余地を、絶妙に残し、そして可愛いキャラクターをたくさん投入した。この構図は、たとえば、ラブライブとかストパンとか艦これと変わりないと思う。で、自分が思うに、これは、別に新しいアニメでもなんでもなくて、「たくさんの可愛いキャラクターに、妄想の余地を残したストーリー」で、エヴァを引きずっている大多数のうちのアニメの一つだと思うよ。

設定さえあれば、消費できるっていう東の主張には、遺憾ながら、同意しないといけない。グダちんなんかはハードSFって言ってたけど、俺はそう思わんな。