千了+1=Q

日々の徒然、雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

かれはひどく文系的/理系的を区別し、理系的なるものの優位を語っている。各所で指摘があるとおり、論理的に議論が進まなくなった上で、文系的なる人を批判するのは、いくら東浩紀に対してでも横暴である。一通りの言及を読んだ段階で、ぼくは、彼が理系的か文系的かはよく分からないし、それらの区別もよく分からない。理系/文系というのはアプローチが異なるだけで、どちらも方法にしかすぎないというのが僕の認識だからだ。

たとえば、ぼくはこういった問題でよく音韻論の例を出す。

音韻論

音韻とは、言葉の音(ねいろ・響き)のことであるが、これと文字との関係(「犬」と「inu」)がどういった風に体型づけられるか、整理されるかを研究する分野である。あらましを簡単に述べれば、初期には物理科学的アプローチをとられた。つまり、その単語の音波から、関係性を導こうとした。で、これがうまくいかなかった。次に、社会科学的、文化的アプローチがとられた。蝸牛考のようなものである。これをもってして、研究は進んだという感じだ。誤りがあったら後で修正する。

これは構造主義の本を読んで知ったのだけれど、この要旨は、当時、物理化学的、自然科学的なアプローチにやっきになっていた。つまり、物理と数学でこの世は全て解明できるだろう、という態度が見直されることとなった。で、あるからにして、あくまで文系理系とは、事象に対してのアプローチの違いであり、優劣など存在しないのではないか。といったことが、20世紀に議論された。


さて本題に入ろう。かわんごにあるのは、文理の差ではなく、理想/目的の差である。その態度の違いを、理系文系に置き換え、認知が歪んでいるとおもう。理想を掲げたはいいが、他人と折り合いがつかない。解決策はこれしかないと、音韻論でいえば、いつまでも音波のグラフを眺めているにすぎないのだ。グラフを眺め、(バカの)文系たるものには、これを解読することができない。彼らは音波のグラフを論理的に解読することができない。これがもっとも正しいアプローチなのに、彼らは納得をしない。よって、彼らには論理的に話し合う機構が存在しない。という感じである。

きわめて分かりにくいが、これがかわんごの思考である、と推察する。かんたんにいってしまえば、問題に対しての解答は既に終了している。その解答が、きわめて論理的な回路から導かれたことに快感を覚えっぱなしと勘違いをし、他人の意見を受け付けず「文系的なるもの」と断じる。これがかわんごと世間のズレであると思う。

問題提起したかったこと


・宝石の国08話において『松本憲生がプリヴィズを担当した』という先行宣伝により、当該シーンの評価は(「松本憲生ありき」という)先入観が入ったものになったのではないか
・松本憲夫という権威に振り回されて評価を違えている可能性はないか
・映像に対する評価とは、完成画面そのものから導かれるべきである。今回の、個人名義しかもプリヴィズのみ担当の当該映像を安易に評価することは、映像評論そのものを脅かす危ういものではないか
・CG技術は年々進化している。作画ラフプリヴィズというものが、どれだけCGと共生・昇華できるか考えるべきではないか。どういったシステムがより良い関係を育むか考える方が建設的ではないか。

という問題提起をしたつもりです。もうこれ以上は追記しない。意味がないので。

他人から、賢く見られることに羨望し、期待し、欲求したことが、まさしく、ゼロ年代批評を統括する上で重要なポイントではないかと思う。しごく単純な事柄を、複雑な物言いやよく分からないワードによって、抽象的な事柄に変えてしまう。”いっけん”すると、とても賢い論文のように見えてしまう。自分の都合のいい論評に見合うように、サブカルチャーをコラージュアートのように切り貼りする。ぼくは、ゼロ年代批評をこのように捉えている。

宇野の言説については、たしか林先生のテレビ番組だったかな。「ウルトラマンは米ソ対立の構図だ」という、こじつけ論を言ってたなあという思い出しかない。彼らの言説には、論理や合理がない。いや正確にいえば、彼らの合理というのは、彼らの論評のためにしかない。東や宇野の言論というのは、はなから「自分の結論ありき」に作られたものであり、そのためにサブカルチャーにおける物語を引用している。としか思わない。孤立した事実と事実どうしを、自分の勝手な都合で結びつけている論評である。地獄みたいに、彼らのフォロワーはたくさんいます。はてなブログみれば分かるよね。地獄を煮詰めた感じだよね。

そもそも、サブカルチャーから社会・時代背景に言及するのは非常に難しい(あの岡田斗司夫だって積極的にはしないでしょ)。なぜかというと、著述家がそういう風に思い込んでしまえば、そういう風に断じてしまえば、それが成立してしまう危うさがあるからだ。根拠をもたない、こじつけは際限なく通じる。80年代の戦闘アニメの多さを、そのまま新冷戦/ソ連崩壊に典拠づけることだって可能なのだ。サブカルチャーにおける事実と、実際の社会における事実を、無理やり結びつけることは、非常に危うさをもつ。

たとえば、「ウルトラマン 米ソ対立」と調べたら下記のようなものが出てきました。
頭が痛くなるので、読むのはオススメしません。
・http://www.magazine9.jp/gundam/100811/
・http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3776/jidaiseihin.html


このようなサブカルチャー論評というのは、(ビジネス右翼とおなじく)サブカル言論ビジネスといえる。ぼくは、意見には(たとえ権威であれ)つねに疑惑的な態度でいないといけないと思う。だから、作家のインタビューなどまったく当てにしない。「どんな気持ちで(演出で)作りましたか?」とか本音で述べることなんて少ないでしょ。自分が必死にこねて粘土に、どんな気持ちを込めたかなんて当人でも分かんない場合があんのよ。それが無意識かつ当人の背景で、作家性と呼ばれるものなんだろうけどさ。作家性じたいを物語から追求するならまだしも、逆はダメだと思うよ。インタビューから、作家性を決めたり、物語の内容はこういった属性や性質を反映している、なんていうのは因果が逆になっている。それは明らかに論理矛盾でしょう。

・biim兄貴、ゆっくり実況

情報過多っぽいVtuberはやや苦手、というか、ノリが合わない、追っかけるほどでもない。ので、ゆっくり実況を見直している。これが面白いんだわ。しかしなんだな、こういうご時世であれば、ホモ動画を流すbiim兄貴の動画をリスペクトして放送することは、「ポプテはレイシズムを肯定している」と主張するような人が出てきてもおかしくないのになあ、と思いつつ傍観していた。けっきょく居なかったねえ。普段から、LGBTを声高に主張している人はポプテも批判しないと、一貫性なくてダメだと思うよ。


・水曜どうでしょう

これがね、意外といい。やはりね、けもフレ流行ったじゃない。僕は極論で言うけれど、けもフレと水曜どうでしょうは同じようなもんなんだよ。旅って自由じゃない、その中で責任もあるけれど。ぼくたちのこの現代社会で、得難い自由さがある。Vtuberはあんま自由じゃない感じするけどねえ、なんか。そんなに長生きするコンテンツには見えない。

日本で進むネット世論操作と右傾化 - THE ZERO/ONE
https://the01.jp/p0006605/

ヘイトスピーチと同じく、ここまで広がってしまった問題は規制議論の机上に上げるべきだろう。デマにはおおよそ、2種類あると考えている。アジテート・FUD系デマ、そして安心系デマである。以下の具体例はいずれも、全て嘘であるが、例示のためなのでご了承いただきたい。

1:アジテート・FUD系デマ
「民主党に任せると国が滅ぶ!」「中韓に乗っ取られる!」という世論の扇動を指す。とくに、この系統のデマで顕著な特徴は、大衆の不安を煽る、FUD的な部分を多く含んでいるところにある。言うまでもなく、根拠や論理に乏しく具体性がなく、「不安」を煽ることに集中している。たとえば、SEALDsのような団体が抗議活動を起こせば、彼らの出生を偽りのものとして流言する。もしくは、暴行/過激な部分を誇張して取り上げ、それがもっぱらの活動であると流言してしまう。

根拠も事実もないままに「不安」を扇動することにより、広がってしまう。一度広がってしまうと、訂正は難しい。もはや、訂正を受け付ける段階になく、自分の見たいもの/信じたいものにしか目は開いていないのだ。

2:安心系デマ
これは1と対立するデマの概念である。簡単にいえば、「安倍首相にまかせておけば安心」「外交力が素晴らしい」と、これまた全く根拠も論理も事実もなく、デマを広げてしまう。僕の考えとしては、アジテート・FUD系デマで不安を煽った後に、安心系デマを広げることにより、「安心感」をもたらすものだ。すなわち、1による不安を2で取り払うのだ。

ネガティブキャンペーンという言葉は、そもそもアメリカ大統領線における、対抗勢力への否定的な運動である。たとえば、「失業率が2%下がった」という事実は、数字と言葉を入れ替えるだけで、否定的な事実にもなりうる。すなわち、「失業者数は、いまだ700万人もいる」という風に変えていく。ネガティブキャンペーンから分かることは、「不安を扇動することがいかに効果的か」ということである。この点では日本のデマと本質は変わらない。


しかし、しかしだ、ネガティブキャンペーンはまだ「事実」に基づいている。日本で広がるデマの多くは、事実などいっさいなく、どこかの誰かが言いだしたことが広がっていくのだ。辻元デマなどはその代表的なもので、まったくとして事実がない。実態がないので、バブルデマとでも呼ぶべきだろうか。これを最近では、立憲民主党の枝野が訂正する羽目になっている。国民の代表たる国会議員に、このような負担をさせることは、はっきり損である。で、これは欧米でも問題となっている。

議論を煮詰めていく必要はあるだろうが、まずデマを広げている装置を無くすのが肝心である。すなわち、スマートニュース、グノシーなど、「話題になった記事を配信するサービス」は、極めて危険である。その信ぴょう性が議論されることなく、勝手に配信されていく。言論の自由との判断は難しいところではあると思うけれど、デマの訂正が困難である以上、優先してデマの拡大は塞ぎ止めなければいけない。

削除すべきこと
・クソみたいなビジネス文書やマナー
・丁寧語を除く全ての敬語

こいつらが日本語を分かりづらいものにしている最たるものです。もっと楽に使うべきで、分かりやすく使うべき。ビジネスメールの8割なんて内容ねえだろ、伝えたい2割のために労力を割きすぎている。よって、削減・辞めていくべき。

指導すること
・論理/合理的な文章の作文
・とくに、接続詞を使った作文

こっちの方がよっぽど身にならねえ?クソみたいな役所言葉・ビジネス言葉を無駄に覚えて、無駄に苦労して、労力かけて読むなんて非合理な行動やめようや。



あと、「日本の識字率は優れているんだよ!そこ伸ばそうや」って書こうと思ったけど、識字率のページを見て唖然としたぞ…

一般的には識字率を計算する場合、母語における日常生活の読み書きができることを識字の定義とするが、識字の定義はその国によって異なっている。
えっなにこれは…こんなんじゃ統計になんないよ。ということで、そういった議論は止め。識字率はまあまあだろうけど、まとめブログ読んで「民主党が日本をダメにした!」「中韓に乗っ取られる!」とか、そういう識字だったら無いほうがいいね!あとは、循環論法やトートロジーなんかの中身のない発言を禁止するような、議会法を作って欲しい。

アダルトグッズのレビューチューバー
・アダルトグッズをレビュー
・ふざけず真面目にオナニーする(重要)
※ようつべだと検索に引っかからないからニコ動でやろう(本末転倒)
・既存のアダルト関係の動画はふざけてばっかで面白くない
・真剣じゃないとレビューにならない
・単純な気持ち良さだけではなく、メンテナンスのしやすさ、継続して楽しめるかなど多岐にわたって評価する
・ツイッターブログと同時展開→動画を見たくはないけど、レビューは見たい人をきちんと掴む
・アバターはそこそこ美少女(重要)
・美少女になった男が艶めかしくなる
・腰から下は映さない(重要)
・ただし声はおっさん(重要)
・美少女だけどおっさんというのが重要
・なぜなら、男の願望だから
・男向け9割 女向け1割
・あとはこの動画はジョークですよとようつべに言い訳できる(できなかったらダメだな!)
・余韻もきちんと撮影する
・余韻にはリアリティが欲しいので毎回ひとこと愚痴を言う

利点
・アダルトグッズ、ジョークグッズ企業と絡みやすい
・ニッチ産業
・話題性、瞬発性はたかい
・元手はアダルトグッズのみ
・話術がほとんど必要ない(重要)


短所
・そもそもエロで消される可能性大
・一発屋で終わる可能性大
・需要がなさそうありそう分からん
・話術必要なしといったが、レビューする以上具体的なことを言う必要がある
・初回は気持ちええんじゃで終わらしてもいいが続けると完全に飽きられる
・無理して言う必要はないけど、一文節でいいからなんか言った方がいい

アホな子を教えるのは大変でもあるという話
http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/

そもそも、検索妨害サイトじゃん、ネットデブリ。で、こういうクッソ激烈ネットデブリ雑魚にかまうことは時間の無駄である。というのも承知で批判する。胸くそ悪いわ。

しかし、いくら頑張って指導しても、アホな子というのは残念ながら存在するのだ。
私は夏休みに5日間続けて、中3の男の子に英語の指導をしたことがある。
その時はたしか、mustの意味を覚えてくれと言った。
たった5日間しか指導してないのに、なんでここまで偉そうに言えるの。すげえ疑問なんだけど。塾業者の端くれとしてさ、こんなんありえんよ。こいつアホなん?アホだから、自分の指導が悪いとか思えんのやろな恥を知れよ。たかがバイト講師の分際で全てをわかった気になってんじゃねえ。

本当は理解力のある子に、ちょっと教えたらできるようになった。
そんな話なんじゃないかと思う。
現実は甘くない。
これ「生徒が勝手に学習しただけ」の話だからね。講師の力で伸びたわけじゃなくて、「生徒が勝手に学んで、覚えただけ」なんだよ。つまり、この記事書いたヤツは必要なかったの。こいつがいなくても、生徒は勝手に学力上がったよ確実に。こいつの一番胸くそ悪いところはさ、「伸びなかった生徒は生徒自身に問題がある」と主張しているところなんだよね。



んで、こいつに限らず、すげえ勘違いなのは、「学力試験は頭の良し悪しが必要」と思っていることね。それは大きな勘違い。反復練習でどうにでもなる、これは本当に。小学・中学数学レベルであれば、理解した上で演習していくことが大事。「だいたいみんなが解ける問題を解けるようにする」だけなんだよ、受験っていうのは。ぜんぶ解けるようになる必要はない。

暗記力や理解力に差がないと言えば嘘になるけど、溝ができるほど大きな差があるケースは稀。たとえば、割合からうまく分からない生徒を1年見たことがあるけど、工夫しだいで理解できるようになっていくんだよ。たった一週間の指導で「アホな子はなにをやってもダメ。伸びませんでしたー学力はセンスが必要!」とか言ってんのが何も分かってなくて、ほんと胸くそ悪い。

これぐらいにしとくわ。こいつに時間割くのもったいねえし、胸くそ悪さを発散できたから。お前にとっては、アホな子って一生ダメなんだろ。じゃあ、お前もダメじゃん。おれから見たらお前超絶クッソアホだもん。こんな検索妨害サイト作ってる時点で何やってもダメ、今すぐ人生辞めた方がいいよ。どうせ良いことなんてないし、無駄な人生歩むことないよ。今すぐ退場した方がお得だよ。きれいごと抜きで言ってあげるわ。

お前の主張って、こう言ってるのと同じだけど。自分のことになると、ちげえだろどうせ。そういうのは一貫性がないんだよ。自分にとって都合のいい発言でしかないの、自分は悪くないって言いたいだけなの。教育関係でもっとも必要な責任感がないから最悪だよ。まあ、コイツ以上にひでえ教育ビジネスやってる輩なんてナンボでもおるけどな。

同語反復いうんは、まあレトリックの一種で、トートロジーってやつです。修辞法の本来としては、『なんであの会社にしたの』『あの会社だからだよ』という感じに、その対象に対して強調効果をもたらします。

ただし、現代社会、とくに現政権ではこれを言い訳として使っている。なぜ改ざんしたのかという質問に対し、改ざんではなく書き換えである。書き換えは書き換えであるから正しいと認識している、とごまかす。こういった答弁がもはや通常になっています。レトリックとしての同語反復をこのように使うので、太刀打ちができない。まあ要するに言葉が通じない、話す気がない。卑劣きわまりない。

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