千了=1(別館)

日々の徒然、雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

ちょいちょい別館で3行リハビリしてから、再開する。いやしかし、けっこうパッキリと価値観が変わりつつあるかもしれない。昨年もすごかったけれど、今年もなんとか、少しではあるが、前進している。ムダなことに時間を割くのはいい加減にしようと思った。他人など気にしても仕方ない。いきなりは無理だろうけどね、ゆっくりとね。

SNSの流行により、クリエイターと身近になった。僕は何かあかんのよな、まず緊張するからリプライとか飛ばしたくないし、いや、話をしてみたいとは思うよ。けれど、もし万一、少しでも私情が入ってしまったら、そのクリエイターに対して、客観的に語ることは不可能になってしまうと思うんよね。相手と交わることで得た、自分の思いや先入観が入ってしまう。そういうことで、オフ会とかも無理だわな。ネットとリアルは、やはり自分にとっては、断絶している。そこら辺の割り切れなさは、柔軟性が欠けているなと思う。

まあ、ひと言でいえば、シャイなんだろうけど。昔からそう。ちょっとしたことで、みんなの前で褒められたりするのは苦手。

落ち着き次第、また更新よてい。ここ数日は殺到していたので、放置していたが、だいぶ落ち着いてきた。

新作アニメは3話あたりから見るとたぶんいい

3話から見る
:どうしてこうなっているのか意味不明
→ある程度没入できる(野球中継を途中から見る理論)
→キャラの関係が気になれば、それすなわち作品に関心抱くと同じ→1話へ

:1クールであれば、おもしろそうな要素は出てるはず
→自分にハマるかどうか分かる

炎上商法は、もう終わりだろう。誰かをアジテーターにして、騒ぎ立てて、過激なことばを使い、過激な活動をすることには限度が見え始めた。いかに、香辛料を振ろうとも、人は慣れる。念じるまでもなく、過激さは身を潜める。暴力的な言葉よりは、突き刺さるような正論や、いっけん中立じみて、実のところ斜に構えただけのシニシズムが流行りそうだな。

理屈からすると、押井映画をもっとも好むと思うんだよな。押井さんは全て理詰めでカットを切って、その画面に対しての印象を考える。だから、自分と合うと思ったんだけど、イノセンスは3回寝て、やっと見切れたし、面白いと思ったのは、「ビューティフル・ドリーマー」「攻殻機動隊」「パトレイバー2」だけ。庵野作品も好きだけど、それは、いびつなところをいびつなまま出すから好きなのであって、全て好きなわけではない、と思う。とすると、やはり自分にとっては、今敏作品がいちばん好みだった。

全てのカットに意味があり、そして、その半分くらいに、自分の思惑とは違うカットが交り、それを考えている間に、マッチカットに撃ち殺される。いや、どうなんだろうね。自分の嗜好というのは、自分が思ってるよりも、不明瞭だと思う。レイアウトについては、今敏が好き。タイミングは庵野が好き、理屈的な映画としては、押井映画が好き。富野はよく分からない。宮﨑駿も、いやもっと、よく分からない。

まずは、そもそも「どのようなものが良いレイアウトというのか?」を考える必要がある。画面内の要素にこだわりすぎていては演繹的すぎて、破綻しそうだ。

すなわち、「これめっちゃ良いレイアウトやん!」
→なんで、良いんだろう
→要素を分析
→抽出して、あるていど、「この要素で(レイアウトを)探れるんじゃないのか?」を考えて




すなわち、こんな駄文を書く前に、映画を一本でもはよ見ろということだ。前半の文章はキモイので消した。

もうアニメを見る気力がだいぶ少ない。賭ケグルイの各話は継続するよ、これは決めたことだから最後までやる。だけど、いつからか、似たり寄ったりな表現ばかりで、もう新しさも真摯さも、自分を興奮させてくれるものがない映像を見るというのが我慢ならない。いつだってワガママである、それは承知の上だ。一つのアニメや、少ない本数で全ての傾向を語るということが愚かなのもわかっている。だけど、これ以上、発展性があるかと言われると、そう思えない現状ではないか。

同じような次回への引き、同じような作画、同じような撮影、受けて側のことを考えすぎて、苦しく苦しくなっている創作物に果たして、快楽はあるのか。こちら側などまったく見ずに、勝手にやってくれる作品が好きだ。「これが正解ですか?」などと、チラチラこちらの反応を伺わないで欲しい。だから、作画であれば、黒田結花と野中正幸には無限の可能性を感じた。彼らからは、自分たちの芯を貫き通しているような感じがした。

ストーリーを突き詰めてもいいし、絵のかっこよさでゴリ押してもいい、アーティスティックで病気じみたようなものでもいい、面白ければなんでもいい。とにかく多様であって欲しい。キン肉マンの作者は、この前、「整合性は気にせず、思いっきり勢いで書け」と言っていたけれど、本当にそのとおりで、整合性など気にする人間は捨て置けば良い。面白さがあれば、整合性は消え去る。


ただ、賭ケグルイ2話のBパート終盤については、ああ、良い作画だなあと思った。田中宏紀だとは、作画をあまり知らない自分だから、パッと見はわからなかったけれど、どこか他とは全く違っていて、ああ気持ちのいい映像だなと久々に素直に思えた。


きわめて、気持ちの悪い記事になった。まあ、こうなると結論は一つで、本数を増やすことだ。アニメに対する偏見を全て捨て、自分の好みそうなPVであれば、まず1話だけでもいいから見てみることだ。そうすれば、きっと、まだ面白いものは転がっている。

レイアウトの言語的な体系化を図りたく思い、パトレイバー2methodを衝動買いしたはいいけど、そもそも「消失点」というのがよく分かってなかった。本館に出すには、あまりに書きなぐりすぎるので、あるていど、この辺で、お勉強タイムといこう。久しぶりだな。

まずは、定義から

消失点とは、遠近法における用語の一つである。

遠近法で本来平行である2つ以上の線を平行でなく書く場合にそれが交わる地点のことである。
これくらいは何となく分かる。だけど、多くの人が知りたいのは、そこではなくて、「消失点が絵において、どういった意味・効果を持つのか」ということだろう。さらに言うと、アイレベル、遠近法、煽り、俯瞰、仰角、広角レンズ・望遠レンズ、アングル、ポジション、などなど、いろんな言葉が出てきて混乱する。これらを一対一で意味で理解しても、あまり有効ではない。

絵における要素で、それらの言葉で説明されるものがどのように関わりあっているか、その繋がりが見えて、初めて、「絵における消失点」を理解したことになる。知識とは、孤独であってはいけない。それで、消失点はその性質から、「絵を描く人のための解説」が(当たり前だが)非常に多く、「絵を見る人のための解説」とはなっていない。そのため、絵描きにとっては感覚的に有用であっても、見る側の人にとっては、まったくそうではない、なんとなく分かった感じに留まってしまう。

実際に、「絵のどこに消失点があるのか?/どうやって、消失点を見つけるのか」まで分からないと、消失点を用いた言及は不可能である。つまり、映像から逆算できなければ、言及はできない。逆算する方法を知りたいのだ。

なまけた絵描きの落書き帳
http://you629.blog.fc2.com/blog-entry-11.html


上記サイトが詳しい。これを見る人のために変換して整理したいと思う。

パース(パースペクティブの略)=遠近法
パースを取る=遠近法を利用する

このレベルからいかないと、理解はできないと僕は思う。



パースの中の要素として、アイレベル、消失点がある。では、それぞれについて検討しよう。


アイレベルとは、絵において想定された目線位置(=カメラの位置)のこと。ただし、水平線とは限らないらしい。

パースかんたん解説1:アイレベルの求め方
https://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=3933143&mode=medium

キャラがいる場合は、床と頭から線を引き、交わった点が、アイレベルの点であり、そこから、水辺線を引けばいいようだ。キャラがいないときはどうすんだろう。うーむ、アイレベルまだよく分からん。となる。そもそも、これらは、やはり、絵を書くためのものであって、見るためのものではない。使用目的がズレているから、こちらは困惑する。いろいろ読んで、だいたい把握したが、アイレベルから、求めるのは、キャラクターがいない画面の場合、困難である。だから、消失点からアイレベルを求めた方がよさげ?という結論に達した。

消失点であれば、建物や、机など、「元は平行な線」が多く存在しているので、わりと早く見つけやすいのはないか。

01]

パッとみた感じ、2点パースっぽい。


レイアウト-アイレベルの求め方(消失点から)

「カメラ位置」をやや特定することができる、厳密にはできない、というか労力がかかって非効率。

[追記]
これ3点パースかな?あーわからん微妙、そこまで追求することでもない?


調べたけど、煽り・俯瞰=三点透視という解釈でいいのかな。上下方向にパースが発生すると、それすなわち、消失点が上下どちらかに現れる。結果として、それが「カメラを煽り・俯瞰から取っている」ということになる。だんだん分かってきたぞ、つまり、対応している関係は、

アイレベルと消失点の関係性
消失点=カメラの位置を示すもの(→アイレベルの一部)
つまり、アイレベルは消失点を内包しているので、アイレベルで考えれば良い。

画面内外、どちらにあるか=(視聴者の)視線の行く方向?
上下どちらにあるか=カメラの視線が下であれば見上げ、上であれば見下ろす。だから、これもアングルといってよいのか。


アイレベル=アングル?、よく分かんねえなあと思ってたら、
ほとんどの「標準」ショットは、アイレヴェル・ショット(eye-level shot)とも呼び、床面からおよそ150センチか180センチほどの高さのカメラの位置で撮られたショットを指す。おおよそ人間の目の高さに一致している。

アングル (写真) より引用

ここでつながってくるのか!(映像と絵と写真でごっちゃになってる)

ただ、アングルにおいて重要なのは、その語源からして角度。標準ショットより低くても、カメラの視線が水平であれば、それは標準ショットのままではないのか?(アイレベルは低くなったとは言えるけど、見上げ・見下げはないし)と思い調べてみると、


知ってた?カメラの「アングル」と「ポジション」とその写真的効果の違い!
http://photo-studio9.com/angle-position/

これめっちゃ分かりやすい。やはり高低ではない角度だ。だから、さきほどのwikiの記述は、正確に言えば、ポジションのことであって、(アイレベルに対して高ければ)ハイ・ポジション、(低ければ)ローポジションとなる。アイレベルというのは、上記記事内にもあるとおり、不明瞭なもの。大体、人の目線を基準にしてますよというものだから、ハイ、ローの決め方も、まあ大体でいいよねという感じ。

やっと繋がってきた!

カメラにおいて重要なのは、「位置」と「角度」であり、

基準となるカメラ位置を、「アイレベル」(標準ショット、アイレベル中にある一点を消失点)とし、
基準に対して、カメラ位置がどこにあるかを示すものを、ポジションと呼ぶ。カメラを向ける角度(対アイレベル、-90<角度<90)が、アングルであり、-90~0°までの角度をローアングル、仰角(または煽り)、0°を水平アングル、0°~90°をハイアングル、俯角(または俯瞰)というのではないか(あとは真上からのアングルを「真俯瞰(まふかん)撮影」というらしい、真下からのアングルについては、特に記載なし)。

カメラ位置=アイレベル
ポジション=アイレベルに対する高低(ローポジ、ハイポジ)
アングル=カメラを被写体に向ける(カメラを主役に考えれば、カメラが被写体に傾く角度)
(ローアングル=煽り、仰角アングル?ハイアングル=俯瞰、俯角アングル?)

あとは、これを絵の図法と結びつけるだけだ。


一点透視図法、二点透視図法=カメラは水平向きonly、もしも、俯瞰的な物体(アイレベルを画面下に設置)があったとしてもそれは「カメラの視線から見て、上方に物体がある」というだけであって、「俯瞰にアングルを取ったレイアウト」ではない。視点自体は水平のまま。これが重要だと思う。

画面下にアイレベルを取り、なおかつ、一点透視・二点透視に限定したとき、俺も「三点透視以外でも俯瞰を描けるのではないのか?」と感じたんだけれど、同じようなことを考えているひとがいて、これに対するアンサーがベストだった。

上の図のように、二点透視でもアオリの背景は描けますよね?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1460798999

水平に見てると2点、見上げたり見下ろしたりすると3点。
写真を撮ってみて下さい
上下のものを撮ろうとすると自然と3点になります。

すなわち、
一点透視・二点透視図法では、ポジション(カメラの位置)には変化があるが、アングル(カメラの角度)には変化がない。一方、三点透視図法では、見下ろしたり、見上げたりする際に、(自動的に消失点が生まれ)アングルが変化する。この変化によって生まれたアングルの変化、カメラの向きを、ハイ・アングル、ロー・アングルと呼ぶ。

3点透視法
http://howtomanga.web.fc2.com/pers/3ten.html


こんかいは以上、つかれた。あとはレンズぐらいかな、でもレンズって、写真にしろ効果つけるだけじゃね?と鼻歌交りに考えているけれど、どうなんだろうね。

蓮舫氏の二重国籍騒動(国籍の是非はそもそも問う必要なく、説明が二転三転してんのは自民議員も同じなので、問題とみなしていない)は、図らずも民進党の解党を待ったなしの状況とさせた。都議選挙での完敗を見るに、もはや、国民の大半は民進党を「天災や穢れ呪いの類」とみなしている。もしくは、東日本大震災における怨恨をぶつけているだけかもしれないが。どちらにせよ、もしも、いま解散総選挙が決定されれば、今より多くの議席数を落とすことは間違いない。

現在のように、一強の権力が暴走した際には僕ら国民にはどうしようもないのだから、―民進がいいか、自民がいいか、といった単純な話ではなく―、「二大政党制を維持できていない状況」が最も良くない。権力が暴走しかけている時の受け皿は常に必要なのだ。その受け皿は民進党に限らず。ただ、前述の通り、民進党はもう党として機能することはない。支持率は、加計・森友問題を受け、自民が下落するのは当然だが、民進も下落した。このことは民進党は受け皿としてみなされていない、ということである。

都ファ系が国政に出て、二大政党の一つを担っても良い。なんでもとは言わないが、今のような権力暴走を再発させないためにも、二大政党制の維持が最大・最優先の目標だと考える。これに必要なのが、おそらく、中選挙区制の復活だろう。小選挙区はどちらか一方に偏ってしまう傾向が強く、二大政党制を最優先すべきとするならば、小選挙区制+比例の廃止が最も安定して維持できる可能性が高い。

はてなブックマークのマイページは、非公開と公開の選択ができる。他人に、自分のブックマークしたページを見せるか否かを任意で決められる。で、そのことについて、とある増田が上がっていたんだけど、そのブコメがお笑いだった。

はてなブックマークは各ユーザーのブックマークページへのブックマークを禁止しろ 
https://anond.hatelabo.jp/20170712171003

zaikabou        
ユーザーページを非表示にしている人は基本的に信用していない
kaeru-no-tsura       
私のページに“アレな人”というタグつけてブクマした非公開さーん
komamix      
ここのブコメで書かれてるユーザーページ見に行くと自分のページで吠えてる人と全く同じ人だった。dd369って人。はてサの人の熱量ってすごいよね/しかも自分のユーザーページはブコメ非表示にしてるという小物っぷり
非公開はユーザーの権利として認められている。んで、「非公開は卑怯!!悪口言えるし、一方的に安全地帯から攻撃できるから卑怯!」と批判。だけど、この人たちは、たとえば、実名でネットやってる人から「お前らも実名にしろ、半匿名の卑怯者め」と言われたら、どうすんねんやw

好き勝手にブックマークをして、好き勝手に暴言を吐いて、好き勝手に攻撃をしてきた。それにもかかわらず、自分たちの立場になった瞬間に「非公開は卑怯」ってお笑い以外の何ものでもないね。はてブ自体が、各個人サイトを安全地帯から殴る装置と化しているのに、なんでそんな自分に跳ね返ってくるようなことを言うのか。安全地帯から一方的に殴れるのは、自分たちだけじゃないと分かって良かったじゃんとまで思うんだけどね。

つまるところ、「俺のルールに従え」ってことなんだろうね。ルールは、あなたが決めることではないよ。みんなで決めるもの。


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よくある例で、「不特定多数の匿名は卑怯、実名を出して話さないと信頼ない」というのがあるよね。自分は実名を出しているのだから、お前らも同じステージに上がってこないと、その発言には意味がないよとする。これ、すげえ押し付けがましい。

「匿名だから話せることもある」というのは事実であって(世の中では受け入れられないことを話す場所は必須)、なんであんたが勝手に上がったステージにこっちが合わせなきゃいけないのと思うわけ。俺は配信してて、お前も名前出していけや(例のアレは除くとしても)、なんていったことはひと言もないし、そもそも、そんなことをしても何も面白くないし、発展性がないのよ。

「実名を出したから、お前も出さないと話をしない」みたいなタイプの人は、その次元に苦しんでいて、お前もこの苦しみを味わいながらなければ、話し合いに応じないと言ってるのよ。簡単にいえば、これって、学校の部活動における、シゴキと同じだよね。俺も(半匿名で攻撃対象となっている、完全匿名はそうではないから卑怯)苦しいんだから、お前も味わえ、話はそれからだ。そんな感じ。

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