千了+1=Q

日々の徒然、雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

偏りでしょう。21世紀のテーマは偏り。偏った物事をいかに、元の状態に戻すかが問われる。

一般化に留まらず、大衆化に成功したと思う。で、ぼくは前々から、自民党が下野した際には、ネット戦略の一環として、これを企画したものと思っている。言説として論拠不足は甚だしいが、あまりに自民党寄りの論説、政権擁護を見ると、そう思うのが自然ではないか。

彼らが単なるアジテーターであれば、与野党の区別なく、常に煽ればいいわけであるけれど、そうではなく、政権与党、特に自民党に対してはフェイクニュースやネガティヴキャンペーンの類を行わない。辻本生コンデマなど、すでに否定されているにもかかわらず、あいも変わらず、飛び散らかす。先日、リテラが取り上げていた通り、一個人のものではないことは間違いないだろう。

で、大衆化というのは、子供に見せても問題がないという状態にまで陥ったという意味である。これは、各キュレーションサイトにも責任の一端がある。情報がどこに由来するか、といったことを基本的に読者は知らないのだから、情報源の責任はサイト側が持つべきである。デマを広げることに加担した罪を問うべきである。フェイクニュースを、蚊のように、媒介して広げたのが、各キュレーションサイトであり、彼らはこれから、非難の対象となるであろう。

2本目

5ちゃんでは、「仮面を被ったニコ生主」と揶揄されているのを見て納得した。たとえば、海外のリアクション系プレイ動画では、じっさいそのリアクションは必須で肝っ玉である。ただ、「VRのおかげで面白いのか?」と問われると、微妙ではなかろうか。面白い人が面白いことをしているだけで、それは果たして、VRのおかげと言えようか。つまり、バーチャルユーチューバーである必要性はあるのか?といったことを提起したいのだ。

だからこそ、ニコ生とゆっくり実況からの地続きの流れがあると思うし、もっと極論を言ってしまうと、biim式動画から、例のアレ要素を抜いて小奇麗にしただけのものではないかと思う。昨今、なにかと厳しいでしょう。淫夢なんて直球差別であるからyoutubeなんかでは扱えない。だから、有名所3人ぐらいしか残らないだろうなあ、と見ている。でも、それはVRがユニークだからではなく、彼女たちが単に面白いからだよね。VR要素のおかげではないんだよね。

自民派閥にしか止められない、現政権の暴走を止めない輩の言葉など信ずるに値するのか?石破小泉jrは、明確に、ポスト安倍を睨んでおり、次期総裁選に目が眩んでいる。

その前に止めろと、党を抜けるぐらいの覚悟はしろよ。一年生議員じゃないんだから、それができないのは議席と歴史の基盤があるからでしょうと。けっきょく、これをもらい受けたいから、ガス抜きのような批判しか行わない。

現政権に対して、きちっとした対処や発言をしない時点で、それは共犯であることに疑いようはない。自民党が崩壊する可能性まで出てくるだろう。まだ、それは、国民がブランドや権威を、論理なく信じてしまう段階では無理だろうが。

蛍の墓の西宮ババアに従えばよかった、なにかすればよかった、というのは結果論的だとおもうんよなあ。交通事故にあった人に対して、いやそんな道通る方が悪いやろみたいな。

清太は、あのような、反抗的な態度を取ってでも幸せに暮らしたかった。それが節子を殺すことになっても、一時的であってもとおもう。高畑勲作品がだんだんわかってきたような気がする、逝去後で恥ずかしいばかり。

で、僕は二元論で語るつもりはないけれど、おおよそ西宮ババアって体制側だよね。ふだん、教師のクソ戯れ言に悪口言っていた僕らが、ババアの側に立つことじたい変だと思うんだけど。

増尾さんが亡くなったときに、自分の今までの記事に目を通してくれる人が多くいた。それは嬉しかった。とうぜん、自分の問題ではなく、増尾昭一とはいったいどういうことをする人で、どのようにすごいのかといったことが多くの人に伝わったからだ。ぼく以上に増尾さんに詳しい人はいるだろうが、まあそういうことではない。

逸話などで終わることなく、具体的な仕事の一端に触れることができる。我ながら、整理しておいて良かったと心から思えた。高畑勲はそういった文献が少ない。なんとなく、富野宮崎が褒めている、すごい人、こういったビジョンである。これで良いのか?

とうぜん、高畑勲を一言で語ることはできないだろう。積み重ねて研究されていくことを望むが、逸話でキャッキャしているやつらを見ると、心底うんざりとした気持ちになる。君たちは訃報を、ある種のネタとして扱っているのではないか?それがなんとも気色悪い。人としてありえない。

思い浮かべるのは、ナウシカのロマンスアルバム。母を訪ねて三千里で、縦の構図を取り入れた、とあったような気がする。こういったことを積み重ねないとダメ。そこまで言うんなら、お前がやれと言われそうだから、すくなくとも自分が知ってる作品についてはやるよ。拙くてもいいんだよ、こんなのは。想いがあればよい、情熱があればよい。まちがってもね、逸話でごまかして何となくすごい人だなで終わらしたら、それはもう評論ではないでしょう。

逸話でキャッキャするのすげームカつくんだけどおれだけ?高畑勲を神格化する前に、すこしでも具体的な文章を書いてかれの歩んだ道を残したあげた方がよくねえか。先週からずっとイライラしてた、はてな界隈だねこれも。

逸話っていうのはさ、サブ的にあるべきものでしょ。メインの表現体系のまとめ、彼のすごさが文献として上がってない段階(これがまず恥ずべきことだけど、済んだことをとやかくいう気はない)で、短絡的に、『かぐや姫でこれだけ時間と金かけて西村pを追い込んだwwww』とか故人への冒涜だと思うんだけど。それはどう考えてんの。アホとかそれ以前に人としておかしいと思うんだけど。

この前の配信で、コンテンツとしては短命そうだな、と思った旨を言った。まったくの偏見と先入観であるので、もうこれは非難・批判されていたしかたないと思うが。それでも短命であろうなとおもう。

まず、1つ目に、コマーシャリズムなものをネットユーザーは嫌っている。それは、広告ブロッカーを見ても、PR記事を見ても分かるもので、これはyoutuberに限らないとおもう。黎明期であるにも関わらずに、(半年ぐらいで)これだけの人が参入してきて、スポンサーを得て行っているひとも多い。この点で、興味を失う。他人がどうかは分からないが、お金が絡んでいると、どうにもモヤモヤした感情が残る。もちろん、商業的なものであれ、面白ければ言うことはない。

2つ目に、黎明期であるにも関わらず、著名な人たちがすでに多い。ここはすごく偏見に満ちているので、了承してもらいたい。さまざまなコンテンツを振り返り、黎明期ってこんなに盛り上がっていたっけ?と思ってしまった。「土鍋理論」がぼくのコンテンツに対する認識である。さいしょは温まりにくいが、段々と盛り上がっていき、そうすると冷めにくくなる。逆を言えば、つまり、急激に盛り上がるコンテンツほど、盛り下がり方も急激であるということだ。

ああ!この前の配信で、もやっとしていたことが言語化できると思ったのに。あまり根拠がないですね。もう少し考えてみる。


あとは、「VRチャット」と「Vtuber」は分けて考えないといけないとおもう。サマーウオーズみたいな世界になればなるほど、いちぶのスターを除きVtuberの必要性はなくなっていくと思う。みんなが仮想空間のアバターをもち、自由に仮想空間を楽しめる…という未来は十分考えられるけれど、それとVtuberの隆起とは関係ないように思う。でもなあ、「ロックマンエグゼ」を見ると、たしかに、スターのような存在(=vtuber)がいる。むずかしい。


ああ、申し訳ない。もうすこし、根拠立てて自分の意見を言えると思ったのだけれど、うまくいかない。まあ、もうちょい資料を見てみます。

参考文献
http://www.moguravr.com/vrchat-6/

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