ノⅠ了=Ⅰ(別館1)

雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

作画兵団みたいな言葉を忌み嫌ってる人たちいるけどさ、キャプチャ画像をツイッターで貼ってクソしょうもない一言添えてキャッキャ騒いでるって根本としては同じことじゃない?なんで忌み嫌ってんのか分かんないけど、俺から見たら同じなんだよね。

理解できないものは、やはり恐ろしいという考えが根本にある。そこからなんだろうね、女性的な精神が受け付けられないのは。ただ、これはおれが、「理解できないものを、否定せず受け入れ」ると、解決する話だよね。別に異性愛者には間違いないんだから。異性愛者であるけれど、なおかつ理解できない存在を避けているだけの話ではないのか。その回避が、トランス願望につながっているような気がするんだよね。要するに、女性を理解できないんだったら、あるていど理解できる男性的な人物と街を闊歩したい。しかし、自分は同性愛者ではない。よって、自身が女性へと変身する必要がある。というのは当然の帰結じゃね。論理破綻してないとおもうけど、どうだろう?


だから、同性愛者ではないとおもう。というか、同性愛者に失礼だとおもうんよね。だって、女性の精神・思考が、理解できない・受け付けられないという点で回避しているだけだものぼくは。それを、同性に愛情を注ぐホモセクシャルと同じにしては筋違いでしょ。彼らは美しいじゃない。ぼくはどっちつかずの中途半端な生きものだよ。

つまりさ、自分が気楽かどうかということが最重要なのよ。クズと言われても仕方ないけれど、相手に合わせて、気まずい時間を過ごしたくはないじゃん。それだったら、気の知れた友達と遊んだほうが楽じゃんと。まあ、一言で言うと、幼稚なんだよ。新しいこと、わからないことへのチャレンジ精神がないんだろうね。もっというと、失敗が怖いんだろうね。セックスもそういうものじゃん。ぼくがセックスの話をしたくない・避けているのは、初めてのとき大きな失敗をしたからだよ。あれは最上級のコミュニケーションなんだなあって、終わったあとに理解をした。そういう幼稚さがあるよね。

ふと、キャミソールを着て、街を闊歩したい、そういう欲望がある。で、以前からホモセクシャルではないか、そういう気質があるのではないか、と指摘されていたけど、今日ある理屈に気付いた。これはホモセクシャルというよりは、「相手に対し、男性的な精神を求めている」だけである。女性的な精神への恐れ・不安から、親しみ深い男性的な精神への欲求が高まった。しかし、ホモセクシャルではない。

この矛盾を解決するためには、自身がトランスするしかないのだ。そのために、トランス欲望、もっといえば、メスになりたい。キャミソールを着て、オンナノコになり、街を歩き回りたい。そういう仕組みで、トランス願望というものが流行している。少なくとも、ぼくはそうである。

地道にやるしかないんだろうけどねえ。誤情報が、意図的、恣意的なもの否かっていうのは、区別しにくい。本当の誤発信は、責められるべきではない。否定的な・ネガティブな情報は広がりやすく、残りやすい。いくら誤解を解こうとしても、困難である。ネガティブ・キャンペーンを思いついたやつ天才でしょ、この時代まで見据えていたんかな。

よりメディアが、ニュースが身近なものになって、誰しもが、多くの情報に触れられるようになった。ニュースを摂取しようと意識してなくても。ということは、拡散するメディア、キュレーションサイト、外部からのニュースで成り立っているようなメディアに対して、事実とひどく異なる情報を公開してしまった場合に罰則を課す。ぐらいしか思いつかないんだよね。一つ一つ責めてもイタチごっこでしょう。フェイクニュースについて、今もっとも責められるべきは、媒介者であり仲介者である、キュレーションサイトだよ。

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