千了+1=Q

日々の徒然、雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

作画に限らず、「見ればわかる」という建前では説明しきれなくなった。いや、「しのごの言わずに、見たほうがわかる」という例外も確かにあるのだけれど、世の8割方は、説明しないといけない。公文書改ざん問題は、きわめて「見ればわかる」と思うけれど、その異常性はイマイチ伝わらない。なぜか。こればかりは知識の欠如、などではなく、想像力の欠如、と思うけれど、まあその理由は置いとくとして、伝わっていない。ということは、「バカでも分かる説明が必要である」ということである。

緒方恵美の発言は、周回遅れといわざるをえない。「森友のゴミ水増しより国会運営費の方がかさむから、さっさと進めよう」というむちゃな理論である。水増し問題と国会運営は別問題であることから、説明を開始しないといけない。で、世の識者は諦めてはいけない。大衆は思ったよりも、政治に割ける時間が少ない。ジャーナリストはその問題の専門家として、情報を集めているから、「この程度は知っていてとうぜん」という段階からスタートすると、大衆と齟齬が生じる。「この程度も知らないのか」で、通してはいけない。

たとえば、アニメをほとんど知らない人に、原画と動画の区別を前提としてはいけない。大前提として、「たくさんの絵が動いている」くらいの点から始めなければ理解はされない。「見ればわかる」という考えで、randomsakugaを貼ってもあまり意味はない。言葉、テキストにしないと、人には伝わらないものがある。根拠をもって示して、その凄さが分かるときがある。


・極論でどんな人でも一言文句を付けられるようにする
・反論の余地を半分以上残す
・難しい言葉を使って、薀蓄を煽る
・資料画像を大量に用意し、自称情強にコスパを感じさせる
・アニメ化された他ジャンルをクソ丁寧に解説する
・元ネタを解説する、その際当時の薀蓄を追加すればなおよい
・クッソ適当にポエムで抽象的な論評をする


これだけです、さあみんなも受けよう!

野中正幸って本人が思っている以上に本田雄に近いよね

とはいいつつも、回避性や境界性の症例にはギクッとするところも多い。

以下引用は全てこちらのサイトから
https://h-navi.jp/column/article/35026371

配信で触れられることがあったので、この際しっかり確かめてみようかと検証。

そもそも「自己愛」とは、なにか。

自己愛とは自分を大切にできる能力のことをいいます。自己愛は少なからず誰にでもあるものです。自己愛は年齢を重ねるごとに成熟していくといわれています。
自己愛とは、語感から与えられるイメージ(「自分大好き」)とは異なり、「自分を肯定できる」「自分がこの世にとって必要な人間である」という意味を指すようだ。一般的には、年齢を重ねることで、成熟していく。

これを「自己愛の成熟」と呼び、「自己を十分に肯定し愛せる状態」となる。自己愛とは、変化するものだ。さまざまな体験や経験を経て、発達していく、心の成熟度合いである。それでは、自己愛に問題があるとはなんなのか。自己愛に問題があるのは、自己肯定の力、自分を認める力が、成熟していない状態だ。これによって、自己の肥大化もしくは、まったく逆の矮小化が起こる。

すなわち、「自分自身に対する肯定の大きさが異なっている」と言えばよいだろう。そのために、「自分は特別な人間である」はたまた「自分はまったくこの世に必要でない」といった、二つの方向が発生してしまう。自己に対するレンズが歪んでいる、という表現が正しいだろうか。


とはいいつつも、この類の発達障害は、エビデンスの不足を感じざるを得ない(論文も臨床も統計もなんもかんも足りない。サンプル不足)。あくまでも、精神病を細分化するために設けられたとみなすぐらいの方がよいのではないか。長らく、精神病の分類は、統合失調症とうつ病の二軸であったが、これでは解決できない。ということで、双極性障害、パニック障害、発達障害と分化していったように思う。

を見抜く時代なのかもしれない。

やはり多くの人が誤解しているのは、自分だけが、その宣伝の対象者であり、それで不愉快な思いをすれば、みんな同じように不愉快であると考えていることである。

で、実質的には、イヤな広告というのは誰しもある。今回のような、別にちょっと不愉快かもしれないけれど、ありふれた広告をいちいち潰していっても仕方ない。意味がない。みんなが満足するコマーシャルなどは、この世の中には存在しない。のであって、それを求めると、真っ白いキャンパスに、真っ黒な文字で、午後ティーと書かれた広告だけになる。軍師気取りは山ほどいて、こうすれば良かったんじゃないのか、ああしたら批判されなかった、とあるけれど、すべて結果論である。

今回の午後ティー広告は女性蔑視ではないし、それを勘違いしたフェミニズムが攻撃しているのを見ると、やはりこの人たちは正義ゴッコがしたいのであって、待遇や地位の改善などしたくないのではないか?と思ってしまう。

ここまでくると、まあ被害妄想である。男性を小馬鹿にしたcmなどいくらでもあるのに、それには性差的な批判を突きつけない時点で、一貫性がない。すなわち、女性視点でしか、性差問題は発生しないと、大きく誤った考えをもっている。そう思わざるをえない。

事実というのはみた人によって変わる。客観的な事実は、存在しえないように思う。一次資料ですら解釈で多数の事実を生み出してしまう、まあこれは与党の言い訳が多くを占める。

となると、合理とはなにか。という問題になると思う。たとえば野党の審議拒否は、合理的に正しい。けれど、イメージとしては悪い。合理への比重は下がり、イメージの時代へと移り変わっていく。

ケネディは選挙中に化粧をすることで血色を良く見せた。イメージ戦略が全て悪いとは言わないが、あまりにイメージに偏重はしていないか。

ぼくらは人間である。人間である以上、合理が中心である。議場において、嘘をつく、はぐらかす、改ざんされた証拠を出す。このような議場で、議論をしても意味がない。間違った前提からは、間違った結論しか得られない。にもかかわらず、野党はサボっているらしい。

一発で目を覚ましたあげた方が良い。集中審議時の、玉木と安倍の議論を見せれば良い。無編集でね。

たった少しの質問に、国として応じる立場にないと答弁拒否を繰り返し、明瞭な説明がまったくない。真摯な解明など上っ面の、綺麗な言葉を、そのまま受け取っている。怒っている人がいつの間にか悪者になっている。これは果たして正常か?正常ではないから、野党はこれだけは直してねリストを政府に突き付けた。4つほどあるが、すべて拒否された。どつ議論しろと言うのだ。これで審議拒否すると、野党はサボっている、と見られるらしい。ボイコットもサボタージュも知らないのだろう。

いわば、デタラメな雇用契約者を作られ、残業代未払いにも応じない会社に対して、抗議のサボタージュをすれば、それすなわちサボりとなるという理屈だ。それをよしとするならば、一貫しているけれど、たいていのひとは嫌だろう。承諾していない事が勝手に追加されて、労働時間が伸ばされたり、交通費が削られたり、もしくは社保が折半ではなかったりするかもしれない。

一年間にわたって国会を空転させたのは、まごうとなく政府である。政府がないと主張した財務省の資料は見つかった。秘書官が行ってないはずの愛媛からは、県職員が作った日誌に訪問が記載されていた。3ヶ月で処分したはずのイラクの日報は、ダンボールで見つかった。

正しい怒りと、正しい合理を粘り強く進めていくしかない、とおもう。このままいけば、間違った議場で、間違った結論と法案が作られるだけである。それが国民と国にとってプラスになるとは、ぼくは到底思えない。

中立さを出す、きちんと表現するのは容易いことではないように思う。で、フェミの揚げ足どり問題にしても、正確無比に述べたところで、相手はどうせ話する気ないしなーとか考え始めたら適当にならざるを得ない。良くないね。

大多数のフェミニストは方向を違えている。女性の地位・権利を、男性と同じものにしなければいけない。向上させなければいけないが、それは男性を攻撃する理由にならない。また、駅のキャラクターや、言葉尻を捕まえて、揚げ足どりみたく、女性差別を叫ぶ。フェミニズムはいつのまにか、女性の地位・権利を向上させることより、単純に批判しやすい、表面的な性差問題を見つけて、リンチしているだけのように思う。それがグリッドガールであり、レースクイーンである。

けっきょく、それで世界は少しでも良くなりましたか?と問えば、ノーだろう。グリッドガールを仕事にしていた人の仕事をフェミニスト団体は保証するのか?彼女たちが誇りをもってやっていたのに、本人達の意見を聞き入れず、潰してしまうことはただの自己満足ではないのか。世界をより平等にするために、スタートしたフェミニズムは、いつからか、現実問題に対処することを辞めて、くだらないことば遊びに終始している。

言葉尻を捕まえて余計に世界を息苦しくしている。ので、意味はない。セクハラはダメ、男女で雇用の差があるのはダメ、といった主要な問題をきちんと推し進めていくべきではないか。結果が出るまでには相当の時間がかかる。だからこそ、短絡的な承認を得るために、男性や同性を叩いたり、仕事を奪ってしまったりしているように映るのだ。難しい、不必要なカタカナ語を使い、知性のようなものをアピールしているが、それは他人へと伝える気がない。本当にフェミニズム議論を他人に伝える気がある、キャンペーンとして広げる気があるのならば、誰にでも分かりやすく説明するはすだ。よって、こんな難しい言葉を知っている自分、に自己陶酔している。本当に良くない。また違う記事で書くが、ここまでこじれてしまうと、いったん論点の整理をした方がよい。本当に推し進めるべきことはなにか?そのためにすべきことは、本当に言葉あそびなのか?常に問い続けるべきである。

まったく追ってないから分からんが、そのうちきちんと情報見ようかな。存在したとは思うけれど、どうにも定義しづらい面がある。

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