千了=1(別館)

日々の徒然、雑多なテーマに対し雑に述べる→本館はGOMISTATION

まあ、すごく簡単に言ってしまえば、無党派層の取り込みに成功した。民進が解党した時点、前原が希望への合流も已む無し、と発表したときに、無党派層はいったんは希望へと動いたはず。ただ、ここにおいて、希望と民進に票を入れることは、消極的な投票である。自民打倒を共通目標として掲げていたのだから、「仕方なく」という感じだったと思う。

そして、小池の選抜が始まってしまった。おそらく、民進と希望の大多数が、何をしているんだと思っただろうな。小池は総理になりたかったはずだけれど、致命的に頭が足りなかった。良かったのは、ここで小競り合いを起こしたこと。小競り合いによって、ただでさえ消極的な投票は、疑惑的なものへと変わった。さて、野党のイメージはどん底に陥った。

ここで立民を弁舌の上手い枝野が作った。枝野の演説はすごいというか、まさしく今求められていることを的確にやるという感じ。前原や希望の「思想なんてどうだっていいだろう」という言い方は、「排除」と同じく、印象は良くない。ここで枝野は、「右左で争っている場合ではない」と言って、さらに「ボトムアップから」「前進する」と、シンプルに言いのけた。単純で分かりやすかったのは大きいだろう。

それからはお祭り騒ぎである。連日の報道を見ても分かる通り、枝野と立民に対する期待は大きい。前原と小池という不信感の塊が存在していたおかげで、相対的に、立民のイメージは素晴らしいものになった。前者の存在がなければ、ここまで伸びてはいないだろう。時間がなかったために、今回は自民打倒や政権交代ということにはならないだろうが、それがまた良い。不信感を抱きつつ、消極的な投票になりえた今回の選挙が、立民の台頭によって、積極的な投票へと繋がった。しかも、その場しのぎの政権交代ではない。これが分岐点になると僕は考える。

何度も言うが、枝野の弁舌は素晴らしい。政権批判をすることが少なく、自分たちが何をやろうとしているかを明確に示した。ということは、国会においても、それが発揮されることは疑う余地がない。「旧・民主体勢のイメージをどう消すか」というのが、一番の悩みであったろうと思うが、今回でそれが成功した。少なくとも、無党派層に政局を意識させるぐらいには、効果があった。これからは、国民次第だろう。

期日前で行ってきました。とにもかくにも、二大政党制へ戻ってくれることを願う。

結論から言うと、若手育成のために犠牲になった。おそらく、村田に提案された案は、「シーズンを通しての代打起用」であって、村田は拒否した。結果的に、戦力外にされたと見るのが普通だろう。サードをマギーが守り、ファーストに阿部+育成したい若手(おそらく岡本)を使い、セカンドに吉川尚を使いたい。この構想が既に編成トップにあったのではないか。

「新化」「一新」などと体が良いスローガンを並べてみたはいいが、スタメンはこの2、3年であまり変化していない。阿部坂本村田長野、この4人が基本的な軸だった。やっとこさ、育成をしようと重い腰を上げたんだろう。そう考えていくと、スタメン確約は、陽岱鋼、坂本、マギーの3名のみ。来季の他のポジションは、本当に競争させて選ぶだろう。そうであって欲しい。

まずファーストは、阿部を使う。ただ、もはや野球選手として動けているのが奇跡なくらい、身体の故障は激しい。半分は代打出場になりそうだ。ここにおそらく岡本を持ってくる。ゆくゆくはサードで、と思っているだろうけれど、守備はまだまだだろう。セカンドには、急造のマギーが座っていたが、来季は吉川尚を起用する可能性が高い。キャッチャーは宇佐見と小林の一騎打ちだろう、現時点では、宇佐見を支持したい。打てる捕手というだけで、理由は十分だ。守備なんてその内上手くなる。インサイドワークが壊滅的な小林にはもはや、僕は信頼を置いていない。控え捕手で良い。

ライトには、橋本到を起用したいところだ。たしかに、僕は橋本到のファンではあるが、彼の過小評価されっぷりには不満を抱いている。チーム内の貢献を表すWARは、2015年チーム第2位であった。彼は守備範囲がとても広い。そして、強肩俊足強打とくれば、首位打者を獲った年以来、成績が落ち込んでいる長野を使う理由があまりない。外野争いは、し烈になりそうだ。

遊撃手 坂本勇人
中堅手 陽岱鋼
三塁手 マギー
一塁手 阿部慎之助/宇佐見/岡本
二塁手 吉川尚/中井大介/吉川大
右翼手 橋本到/長野久義
左翼手 外国人枠(ギャレットはどうなるんだろうね?)/亀井義行
 捕手 小林/宇佐見

なんだろう、力さえあれば、世間が容認すれば、すべてが許されるんだろうなと思う。ああ、日本が没落するのも当然だなと。野球界に、大谷のようなスター選手はとうぜん僕も必要だと思うけど、柳田と山田哲では物足りないのだろうか。H上林、C鈴木誠、D福田、探せば、まだまだ存在する。ホームランバッターは、スター選手になりやすい。それは、松井秀喜を見ても、王貞治を見ても、もしくは、外国人スラッガーを見ても分かることだ。直感的に、スゴイと分かる。

”彼は異次元の存在である”とマスコミは印象づけたいのだろう。僕からして見れば、あれだけのフィジカルをもってして、あんな質の低いフォーシームを投げる選手のどこが異次元なのか理解できない。いや、160kmを超えるフォーシームや二刀流で二桁ホームランというところを見れば、とうぜん今までに前例がない。ただ、前例がないことと、異次元であることが同値であると、僕は思わない。

田沢を素晴らしい選手だと思うのは、彼がまさしく、身一つでメジャーへと乗り込んだからだ。

本館にも書いたが、元から低空飛行を続けていた意欲は地に落ちた。紛れもなく、アニメーションに興味がない状態と言い切っていいだろう。しばらく休もうかなとも思ったが、あまり休んでも仕方がないことは経験則で分かっている。元から虚弱で神経質だ、期待を背負える人間ではない。今までの賞賛も不相応なものだと今になっては思う、謙遜はしていない。

いまいち確たる情報を掴んでいないので、言及も微妙になります。ヤオが何をしたのか、製作に無許可で二次商法したのか、角川が何をしたのか。まずは、落ち着いて、これから先に公式アナウンスが出るのを待つべきです。

ただ、「たつきは全く悪くない!たつきを守れ」という主張には乗る気になりません。彼の最終ツイートを見るに、ファンを扇動したのは明らかです。その点については、子供じみているな、としか思えません。まあ、なにぶん情報が少なすぎる、そう思わざるをえないというのが本音です。カドカワに対して、良い印象はありませんが、彼らが何かをした、と決めつけるのは早計です。

ヤオヨロズとして、「何がベストか」を自分が考えたときに、「けもフレの権利をほぼ捨てる」ということです。そもそも、製作委員会方式をとっているのですから、出資者ありきであります。彼らの出資がなければ制作できません。ですから、商業二次の制作には製作委員会に許可をとる必要があります。彼らのお金で成り立っている商品です、こればかりは仕方がない。そういったしがらみは、製作委員会方式において、確実に起こりうることです。庵野秀明に習えば、「エヴァ」の権利問題をクリアにするために相当の労力を払ったでしょう。それぐらい、版権というのは面倒くさいものです。

話を戻しましょう。とにかく、彼らは素晴らしいアニメを作った。今、たくさんのファンがいる。そうであるならば、新作を作るべきです。それがヒットするかどうかは分かりませんが。で、同じ轍を踏まないように、完全に権利を握ればよい。つまり、自分たちで版権を新しく作ってしまえばいい。CFで募れば、いくらでもお金は集まると思います。ですが、これから後手後手に回ってしまうと、今いるたくさんのファンを失う可能性は高い。ですから、けもフレの版権については、残念ですが、諦めることがベストと思います。ヤオヨロズは知りませんが、たつき監督には信頼がある。今が最大のピークでしょう。ここを逃すと、もう「けもフレ」だけではなく、彼の監督作品を見れなくなってしまうと思います。それが最も憂慮すべきことではないでしょうか。茨の道とは思いますが、これ以外に僕は方法が思いつきません。利害関係者ならば、もっと入り交じった感情があるのでしょうね。僕としては、「たつき監督が新作を出す」とアナウンスを出し、そのままCFで資金を募るのが、現状を見るにベストと思います。


本題はけもフレではありません。けもフレの一連の流れや衆院解散を見るに、とてつもない不信感を感じました。カドカワや製作委員会の公式アナウンスを信じられないという人々の気持ちも何となく理解できます。おそらく、ここ4、5年は「閉塞感」といったものの方が強く感じられていたでしょうが、それは不信感を黙殺していたために、生じたものだった。閉塞は今ほぼありませんが、代わりに不信感が広がった。広まりつつあると思います。ということは、宗教がブームになるかもしれませんね。ああ、それがけもフレかもしれませんし、自民ネットサポーターズかもしれません。

大谷 メジャー挑戦へ代理人選びの面談始める 米サイト報道
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170927-00000009-spnannex-base

ね?言ったとおりでしょ、今年は日ハムにとって、オオタニという商品にキズがついてはいけない年だったんよ単純に。WBC辞退→フットサル報道→2017投手・野手起用ほぼなし。呆然ですが、活躍はしません。これはまあ、至極とうぜんのことです。彼のフォーシームは、終速と初速の差が大きく、いわゆるノビがない。

選手情報-大谷翔平
https://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/1200087/

メジャーから見れば、大谷の今年度の成績など、どうでもいい。それまで、安定した成績を残していたわけですから、別にそこに関して不安はない。その上、投手を徹底的に”消耗品”として管理するメジャーの考え方を見ると、日ハムはメジャーの「日本プロ野球などで、”消耗”して欲しくない」という考えに寄り添ったわけです。今風な言い方をすれば、「忖度」という形です。もはやWBC前、2月には今オフのポスが決定していたのでしょう。

まあ、こちらとしては、プロ野球ニュースで、大谷の名前を見る機会が減って嬉しい限りです。その代わりに、清宮のニュースはとうぶん続くでしょうね。まあ、こればかりは仕方ないかなあとも思います。

「怒り」という感情は正しい。憤るということは人間に生まれた以上、いや、この世に生まれた以上、あらゆる生物が持つ原始的な感情だ。ただ、「怒り」に付きまとう、「どうしようもない感情」はそれとはまた違うものだ。「怒り」が瞬間的、スタート地点だとすれば、それは、あらゆる人に存在する。しかし、「どうしようもない感情」の処理によって、人々の「行為」は変化する。

変えられることは変えればいい。未来や、もしくは過去のことについて、不安や怒りが生じても、それはスタートであり、行為は考え方次第でいくらでも変わるのだ。究極に合理化すれば、「自分が変えられないことに対し、労力を払わない」ことが一つ。”晴れていれば”、”電車が遅れていなければ”などに憤り、ただただ怒りに振り回されても仕方がないのだ。雨の場合を想定し、電車が遅れても余裕をもって行動する、それが、おそらく進歩と呼ばれるものだろう。もう1つは、「労力に見合っただけの成果が得られそうにないことをしない」ということだ。ケチをつけられて裁判沙汰を起こしたとしよう。弁護士を雇い、何度も書類の整理と立証の確認を行い、突破したときに、自分にとって利益があるか、と考えたときに、なければ、しない方がよいのだ。ただ、ここは難しい。

ブラックな違法労働を告発した男性は、数年ほど費やし、自分の労働環境の酷さを訴えた。それは同時にさまざまな人に勇気を与えたのだ。彼にとって、利益は少ないが、社会的にとっては、とても有意義で利益は多い。一見すると、無駄な行為に見えることは、他者や、もしくは未来の自分に役に立つ場合がある。そういう点で、一概に、利益という基準では語ることができない。

で、キャラクターについては、よく分からないままだが、垂れ流す。個人の開陳は、もっとも大事だ。僕がおそらく、キャラクターの中でもっとも興味を持っているパーツは、鼻と手である。

まったくの偏見であるが、少女漫画は、カクついた手が多い。カクついた手に魅力がある、その魅力を仔細に話すことはうまくいかない。印象論でしかない。リアルな手を見ても、それはキレイだとは思うけれど、自分の琴線に触れない。カクついた手は、何かを想起させるのだろう。幾何的にパターンがあるので、キレイという話ではない。リアルな手では達成しえない何かがあるのではないかと思う。

次に鼻だが、これはおそらく、髪の毛などとの対比だ。レディ&オールドメンを見る限り、鼻の鋭角さ、こわばった様子と、やわらかい髪の毛の様子。この対比構造により、鼻の鋭角さ、カクついた描写が、髪の毛や目や耳といった、曲線がもつ、柔らかさを引き立てている。

と考えていくと、人物造形とは、直線と曲線の対比、柔らかさと鋭さの対比によって、成り立っているのではないだろうか。久々に気持ちがいい仮定を導けた。

自分は、キャラクターの造形や、物語の類型はどのようなものが好きなのか、について不明点は多い。極めて、自分は、物語性の強いもの、ストーリーがひたすらに展開されていくものは苦手だと思っていたけれど、実は違うのではないか。それに興味を持とうとしていないだけで、望遠鏡で覗き込む範囲が違っているだけで、実は興味をもっとも抱いているのではないか。そのように思うことが増えた。

キャラクターの造形については、不明点が多い。兄貴からおすすめの漫画を買ってくるように頼まれた後、書店で眺めていると、どれもピンとこない。まっさらになんの情報も持たずに単行本を買うときなどほぼないから、何を基準に買うのかよく分からない。そこで、キャラクターの嗜好や、物語の嗜好が必要なのだろうけれど、それを持っていないので分からない。

悩んだ末に買ったのは、「レディ&オールドマン」という漫画であった。表紙の絵に惹かれた、ような気がした。ー『しかし、これは、サブカル女子が読むような漫画ではないか?』ー。そういう人と同じではないと否定したく買うのをやめようと思ったけれど、自分の直感を信じた。お話は、ゆったりと進んでいく。陰影もキレイに使われていて、時間が止まっている瞬間がある。

さきほど否定したかったことは、もっと正確にいえば、女子のような自分だ。ボーイズラブに興味はないと思うけれど、別に嫌いではない。美麗な男性同士の絡みというのは、世間の男性ほど嫌いではないのだ。断っておくが、ポリコレはまったく関与しない。そのような見栄は張っていない。素晴らしい絵柄だと思うのに、「このような絵柄を僕が好むのか?」という気持ちを、否定したかった。それが、明らかに間違っている、というのはわかっているのに。つまるところ、絵柄について、男女の好みがあり、そうなるべき、と思い込んでいる。もしくは、「他人と違う絵柄を選んで通ぶりたいのではないか?」という、変な気持ちが湧いたのかもしれない。どちらにせよ、思慮しても有意義ではない。

そうなってくると、やはり、他人や世間の”そうなるべき事”など、バイアスでしかないな。他人は否定するものでもなんでもなくて、ただの他人でしかないのだ。そういう傾向はあるんだなという程度のことでしかない。

話が逸れた。このような事を考えるのも、まあ、横道に逸れて、同じ結論に辿り着くとしても、ムダではないと思う。確認しないことには、納得しないことには、それを本当に受け入れることはできないから。けれど、何故この絵柄が好きなのかを追究した方がはるかに有意義なのは間違いない。


閑話休題。こう考えていくと、自分の価値観や嗜好というのは、思ったほど、はっきりしていない。エフェクト以外のものについて、これこそ自分の好みだ、などと言い張れるものは、まったくないのだ。サブカルに触れる時期が遅かったというのはあるにせよ、もう少し、自分の嗜好というのは勝手に明確になっていると思っていた。すなわち、自分の嗜好というのは、勝手に明確にはならないのだ。

思考以外の領域において勝手に明白になっていたところで、それに対し、自分自身が意識的にならないと、自分にとって、明確にはならない。つまり、「あなたはどのような漫画が好きですか?」と問われて、明瞭に答えることは可能にならないのだ。自分が、そのものごとに対し意識しない限り、どのような辛さがあったとしても、否定をしてはいけないのだ。自分に対して、ごまかしは意味がない。

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