iakinglyのごみ雑記

雑多なテーマに対し雑に述べる、愚痴とゴシップも時々→本館はGOMISTATION

なにがあっても、作品と現場は分けるべき(というか、ぼくはスタッフが亡くなろうが、その悲しみと、視聴は混同しない)だけれど、流石に京アニ事件はいまだかつてない悲惨な事件であったことは間違いないので、分けることは難しいのかもしれない。

ドライとか冷酷だとか、気取っている、そういったわけではなくて、ぼくは完全に作品とスタッフを切り離している。増尾さんのときは少しびっくりしたし悲しかったけれど、まあなんだ、増尾さんが参加していた作品を見る上で、ああ増尾さんが生きていればなあ、と思っても仕方がないのだ。という思いがある。庵野さんが死んでも同じとおもう。

松来さんなんて、今でもクー子や下セカのアンナが出てきたら、なんかゴタゴタ言うやついるでしょ。ぼくはあれ、マスコミや野次馬みたいなもんだと思って見てますよ。騒ぎたいだけなんだ彼らは。知っている逝去者を、センセーショナルに扱っているだけなんだよ。


キャラクターと声優が別個のものであると同時に、作品とスタッフは完全ではないが、切り離すことができる。切り離すことができないんだったら、RIPなんかする前に、そのスタッフの功績を調べ、分析し世に残すのだ。自分の言葉で、自分のできる方法で、彼らを残すのだ。遺族経験がある身から言えば、安っぽい追悼なんかされても遺族はちっとも嬉しくない。

本当にお世話になった、こんなことをしてくれた、あんなふうに接してくれた。尊敬する父が亡くなった後に、ぼくに届いた言葉は、そういった類のことで、形式的なお悔やみなんていっさい嬉しくなかったね。それが残ったファンの役目であると、ぼくは確信している。少なくとも、ぼくは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの劇場版にあの事件を入れて見ることはしない。

脱ぎ方に工程がある服はすべてエロいのではないか?

反安倍ってなんなんだ・・・?

反鳩山とか、反菅とかなかったよね。
あと、ネトウヨには愛国者なんていないと思うよ。

ほんこれ
おれはこの意見で納得した。国が良くなって欲しいなんて微塵たりとも思ってなくて、嫌韓・嫌中の延長線上でしかない、思想とも呼べない、おろかなものだろう。つまり、「相手をやり込めたらいい」というマウント至上主義にすぎない。だから、嫌韓や嫌中と愛称が良く、マウントが取れない、アメリカやロシアには犬になる。北方領土なんてネトウヨは問題化しないでしょう。

おっすおっす
江畑諒真MAD.mp4_snapshot_00.30_[2019.11.02_06.42.01]

(見出し用画像です)




キャラクター、アクション作画
キャラクター


①目
②鼻
③口
④髪の毛
⑤その他パーツ
⑥タイミング(※共通)

顔面だけでもこれだけある。腕や指などのクセなど言い出したらキリがない。あとはアングルや影とか、しわとか…無限じゃん。だからキャラクターはタイミングと大きなパーツの運動しか見ない。全部見るとかまったく現実的ではない。そもそも、それを出来ている人はどういう視点から見ているのか?その辺の視点について、まったく聞いたことがない。聞きたい。



エフェクト作画

エフェクト

①煙の形(フォルム)
②ディテール(影、ハイライト、透過光)
③タイミング

一方エフェクト作画。抑えるべきものが少ない。極論、フォルムとディテール、これだけで済む。めちゃくちゃ楽しい。「なんとなくこんな感じなのかな?」を積み重ねていけば、だんだんと特徴が浮かび上がってくる。まあもちろん好みもあるだろうけれど、アクション作画について「ほとんどの人が把握するべきものを把握しているのか?」という疑問は常にあって、おれはそんな無茶はできないからしない、という感じ。ずっと変わってない。

やっと分かった

・金にならない
・ストレスが溜まる
→ならば、他人に教えるより自分で独占した方がよい
→だれも語らない(Twitterでは語ってるのかな?)


こういう思考なんだろうな。ふと思いついて考えたけど、けっこう腑に落ちた。もったいない、というかケチで金回りが悪い。金回りが悪いと、コミュニティのお金も増えない。ましてや、作画という、趣味ていどのことで、独占なんて損でしかない。

作監:平松禎史、松原秀典、林明美
メカ作監:金世俊、すしお

現実的に考えても、これぐらいはできたのでは?
なんだあのメンツ
破→Qと役割が増えた平松さんに振ればよかったのに
ユーリオンアイスで無理になったのかなあ

「あのメンツみんなうまいから問題ないよ」って配信で言ってた作ヲタがいるんですけど、そういうことじゃなくて。エヴァっぽさ皆無じゃん生姜とか、エヴァの絵じゃなくて生姜絵になっちゃうから問題だよねって言ってる

前からもう関わりたくない人達だったんでいいんじゃないかと思う。
ツイ作豚みたいな、もうなんかSNS上のアニメーターは批判しちゃいけない、褒めなきゃいけない、そういう同調圧力的な空気で一生やっててくれと思う。もうしんどい、自分に嘘をつけない。しんどすぎる。ああニヒリズム的な、冷笑みたいな態度ぼくは受け付けないんで。付き合ってられん。

まあ僕が嫌いな雰囲気に対してほぼ寛容さがないというのは、それはそれで大きな問題でしょうけどね。それは認める。きっしょいツイ作画界隈とは縁を再び切りました。一生内輪でSNSで目立ってる作画だけ持ち上げてきっしょいノリ続けてやってろボケカス。時間とメンタルの無駄やわ。

作スレもそんなに好きじゃないけど、ぜっっっっったい作スレのほうが100倍マシ。誤解しないでほしいからいちおう言うけど、作スレヨイショしてるわけじゃないからね。ただ、ときどき配信とかで流れるんだけど、作スレ住民がキチガイっていうのはだいぶ偏見入ってるってだけ。普通普通。専門板のドロドロ加減に比べたら普通。ツイ作豚は異常。だれもあれ喜んでやってねえよ。しんどい。

べつにこれは「論理性のない人間が悪い」という主旨の話ではない。まず、結論から言う。興味のない物事の中において、どのようなものに、そしてどのように関心をもつか、というのは、ほぼ決まっている。

A)アジテーションされたもの
B)きわめて資料性の高そうな整理されたもの
C)多くの人々が反応したもの

Aは感情的なものだ。ここに知性はなく、論理も根拠も必要がない。いや、むしろ邪魔になると言ってしまってよかろう。Bについては、資料性の高さから「コンパクト(情報の摂取が速い)」な情報であると、同様にCについては、多くの人々が注目したことから「重要な」情報・トピック・流行であると僕らは認識する。この情報社会において、自分の守備範囲外のエントリーやコラムの選択はほとんど合理的に行われている。

現代の情報はほぼ無限にある。自分の思考で判断し選択しなければ、自分にとって有意義、もしくは必要な情報は得ることができない。そういう風に多くの人は思っているとぼくは考えている。人々は情報を選択する際に、合理的な判断を下しているとは言ったが、その内容が論理的であるかどうかはいっさい関係ない。つまり、<外部>から見て、「便利そう」、「面白そう」、「すぐに読めそう」なものだと判断している。言い切ってしまえば、内部の情報、まさしく<内容>は情報選択の際には、意外にもさして重要でないのだ。

内容がいくら論理的で正しく、根拠も揃っていたところで、選択され注目されるかには関係しない。重要なのは、「外から見て、便利そう・面白そうなもの」なのだ。であるからにして、多くの人々が読んだからといって、正しい情報であること、自分にとって有意義な情報であることを保証しない。

小さく小さく論理や根拠を重ねて書いても、べつに良い。それが日記であるならば。ブログは少なくとも、すべてのネットに公開されたもので、そのエントリーはだれかに読んで欲しいという気持ちが含まれている。論理性は非常に高いが、まったく選択されないエントリーと、論理性にいちぶ欠陥は見られるかもしれないが、多くの人に選択され、その物事について議論されるエントリー、どちらが有意義であるかはもはや明白だ。「名を捨てて実を取る」と、同じことだ。だれにも気付かれない大きなダイヤを探すのと、馬券について悩むのと、どちらを選択するかなど、言うまでもない。


ようやく、というか分かっていたけれど、気付かずいた。くだらないことだ

クソ01
クソ02

こういう自分の玄人さの補填・補強のようなもの、「これが入ってないのはおかしい」とダダをこねるクソガキのようなものはきわめて、ぼくのやる気を落とした。ああ、なんの文章も読み取れていない。悲しい気持ちだった。伸びなかった以上に、もうこういう奴らにくたばって欲しかった。


クソ03ref
ヒラコーが揉めていたときのツイート(和解で仲良くなってたのでスゴイ)

まさしくこの通りで、ぼくは馬もそうだけど、知識の比べ合いっこをしたいわけではないんだ。楽しく話をしたい。メトロポリスに感動できないのは仕方ないにしても、こんなツッコミを入れられるのはそうとうに嫌だった。もうそういうのはウンザリなんだ。そういう時代でも、そういう流行でも、そういう態度でもないんだ、求められているのは。でも、そんな化石のような人間が山程いて、それに耐えられなくなった。

そこから大きく方向転換した。つまり、「宝石の国」記事である。西田亜沙子からはよく分からない指摘をなされたが、まあこれも箔がつくようなもんだろう。次には「よりもい記事」で大きくチャレンジした。議論が成り立たないのは、現代日本社会らしいと思った。で、やる気を落とした。

寄稿の依頼は、まさしく天からの救いであった。ちょうど落ち込んでいた時期だったし、ポジティブな気持ちにさせてもらえた。主題のクソなファッキューなやつらなど、どこにでもいて、何人でもいて、もうそういうのに構っていては、貴重な時間がなくなる。もっと、もっと、多くの人は喜んでもらえたはずだ。ワイヤーを、好きになってもらえた人がいるはずだ。


救われ

同じブコメ、大きく救われた。Twitter上でも時々ワイヤー記事はシェアされているようで、いやあんまりないかな。まだしぶとくやるよ。しぶとく。すげえもんだしてやっから、口空けて待っておけ。

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